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自分を知りたくなったら

誰かにとってはくだらないと思えることが

誰かにとってはとても大事なことだったり

自分にとっては
心から嫌だなと思ってるその人が

誰かにとっての心から大切で心から愛する人だったり。。

人は表面だけでは決してわからないよね



人を、貶してばかりいるあの人も
昔、貶されていたのかもしれないよ。

人をバカにしてるあの人も
本当は

バカにされながら生きてきて
コンプレックスの裏返しなのかもしれないよ。

イライラ怒ってばかりいるあの人も

本当は怒りの裏には

抱えきれないほどの
不安にいつも怯えてるのかもしれない。。


そして

幸せそうな明るくて優しいあの人も。。

同じように
貶されて。。パカにされて。。不安にいつもおびえながら生きてきたのかもしれない。。


似たような体験をしても

「だから優しくなんかできない
だからいつも不幸なんだ」を選んだ人なのか


「だから人の痛みがわかって
優しくいられて幸せになれた。。」
を選んだ人なのかで

その先は全然違うね

起きてる過去の体験は同じなのにね

♡♡


先日、整体師さんから

「僕はアドバイスではなく
凛さんに、本当はどうしたいの?そういつも問いかけてます」

その言葉をもらってから

嫌な過去がでるたびに

「本当はどうして欲しかった?」

「本当はどうしたかった?」

をなん度もなん度も問いかけている 

過去言われたことが今も心に引っかかってるのは

「違う、そうじゃない」

という思いがずっとあるから。

「見て!」って、過去の自分が訴えてるから。

そして、違うから、本当な何が良かったのかわかる。

そこにある嘘のない気持ちを見てあげると
いかに自分が自分にダメ出しして

気持ちを無視して
他人の価値観を受け入れてきたかに気づく。。

「何もしたくない」「何がしたいかわからない」

そんな風に思ってきたけど

今まで散々自分に「ダメ!」「無理!」
「出来っこない!」って却下してきたのだから

「もうなんにもするもんか!」

になって当然だったよな。。って思う。


♡♡

今、少しずつ、自分のやりたいことを自分で叶え始めて
ちょっとしたコツがあることがわかった。

それは
自分のやりたいこと
心から幸せを感じていることを

「誰にも話さなくていい」

ということ。

わたしはついシェアしたくなるから
書いちゃったり、話しちゃったりするんだけど

大抵、コントロールしたがる人たちから

「それってどうなの?」みたいな
反応が来たりする。

気にしない人は気にもしないのだろうけど
わたしは結構気にする。
(自分に自信もないから)
そしてクヨクヨする笑

だったら言わなければいいんだよな。。
そう思ってからは
話さずに一人で楽しんでいる。
家族には特に話さないことにしている。

不思議なもので
自分ひとりの小さな楽しみをいくつか持ってると
人に優しくできることが、わかった。

他人を優先したり
自己犠牲的に生きてきた人にとって
自分を優先するって
凄く勇気がいるよね

だけど、自己犠牲で周りを幸せにしようとすると見返りが欲しくなるんだよね。

「これだけ我慢したんだから感謝くらいしてよね」って

それが、自分のやりたいことを優先してちょっとずつ幸せな時間を増やすと、

恩着せがましさからも離れられるんだよね。

以前のわたしは
ほんと
恩着せがましい人だったと思う。
今もまだまだあるけど
なんかそんな自分も今は、ちょっと好きだなとか思える。

「本当はどうしたかったんだろう?」

「本当はどうしていきたいんだろう?」

は素直な自分に戻るきっかけの言葉だと思う



最後までお読みいただき
ありがとうございます








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