愛燦々
子供の頃
母からちゃんと愛されてた。。
そう実感したのは
あの頃じゃなくて
ずっとずっと後の「今」
自分には、優しさが足りない
ちゃんと愛せない
そう思ってきたのが
自分もちゃんと愛してたし
今も変わらずに愛してる
そう実感したのは
それを自分で認められたのは
子育ても終わった「今。。」
でも。。それすらもきっと
ベストタイミング。。
だって
神さまはタイミングを間違えたりはしないから
♡♡
母から言われてきた言葉より
母がわたしに
家族のために
してくれてきたことを
ひとつひとつ。。
思い返してみる
そこには言葉じゃない
愛と優しさがいつもあった
言われてきたことも
裏返してみたら
ちゃんと
私が困らないようにと思って
言ってたことだって
今ならわかる
きっと
今だからわかる
そして
それでいいんだと思う
♡♡
ただ
自分の思った通り
期待通りの愛され方じゃなかっただけ
ただ
自分の差し出した愛を
思った通り
期待通りの受け取り方では
受け取って貰えていないと思っただけ
愛はちゃんとわたしにもあった
いつだって渇れることはなく。。
だって
世界は愛で出来てるんだから
♡♡
言葉のキャッチボールも下手くそ。。
同じくらい
愛を与え合うのも
下手くそ
だからいつの間にか
拗れに拗れて。。
でも。。投げやりにならずに
落ち着いてじっくり紐解いていくと
そこには
あったかくて
抱きしめたくなる
そんな愛のかたまりがあるだけだった
言い争うのも
愛してるから
わかって欲しくなるのも
怒りが湧くのも
苦しくなるのも
そこには愛があるから
たったそれだけのこと
♡♡
夕べ、またまた
動画で面白いこと言ってて。。
子供が小さい頃
食が細くて困っていて
なんとか食べさせたくて頑張っても全然食べてくれない
かと思えば
一口食べたと思ったら
「まっずーい!いらなーい」
って食べなかったり
そんなとき、奥さんは栄養も考えて
一生懸命作ったのに悲しいし
腹立つしでいたんだけど
あるとき動画で
「子どもの食事はお供え物」
って言ってて
そう考えてみればいいんだ!
って気持ちが楽になってた
って言ってて
それ聞いてめちゃくちゃ笑っちゃって。。
確かになあって思ったんだ
お供え物に
栄養がー。。とか
残さず食べなきゃー。。とか
ないもんね
♡♡
食べて欲しいのも
イライラしたり
悲しくなるのも
それは
愛してるからなんだよね
料理と一緒に
愛を受け取って欲しいのに
まずーい
いらなーいって言われることは
食事云々より
そこに込めた
差し出した愛を
まずーい
いらなーい
って拒否されたように感じるから。。
だから悲しくなるんだよね
家事をするとき
その原動力って
「愛」なんだもんね
だからこそ
ちょっとした勘違い
ちょっとしたすれ違い
行き違い
そんな日々の積み重ねが
愛がわからなくなるきっかけになたりするね
♡♡
母が差し出した愛は
わたしが欲しい愛の形とは
ことごとく違った
だからいっぱい反抗した
違う!
もっとちゃんと愛してよ!悲しいよ!って
心で叫びながら
だけど
「愛してよ!」
「悲しいよ!」
は
本当は
「ちゃんと愛してるんだよ!」
「心から大好きなんだよ!」
だった。。
♡♡
今。。どれだけ日々振り回されて
どれだけ拗れて 拗ねていても
絶対に
あと何年後かには
そんな自分を
心から愛おしくなれる日が来る
なぜなら
今
過去のわたしを
心から愛おしく思えて
ずっと自分に変わらずにあった
沢山の愛と
愛されてきた時間を感じているから
それは「感謝」という愛だって知ったから
最後までお読みいただき
ありがとうございます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?