向井慧さんのはなし

パンサーの向井慧さんが好きだという話をしようと思います。なんでかって、noteのアカウントをせっかく取ったので。
最初に断っておきますが、確かにこの文章は総合すると向井さんについて書いているものの、構成として大部分は自分語りと分類されてしまうものになっています。どういうことかというと、「わたしはこう思った」ということしか書いていない。
わたしは断言する文章がそんなに好きではなくて、あとやはり一人の人について書いた文章がそうしたアプローチをするのはだいぶ不躾だと思ってしまうので、なるだけ「わたしはこう思う」からはみ出したくないのです。

さて、好きなものや人について語る際はたいてい、ハマったきっかけやハマるに至った経緯を綴るんじゃないかと思います。わたしはその辺の記憶が曖昧なので割愛します。これはハマるなと確信したのは昨年、2022年の夏の終わりか秋口。数ヶ月ぐらい、そこからの時系列がめちゃくちゃです。
前後がもう判然としないのでぼんやりした話になりますが、興味を持って彼の動向を注視した数日間がありました。きっかけはおそらく些細なことだったのでしょう。それが、いわゆる皮切りというやつでした。再三言いますが、そっからの記憶があんまりない。

わたしが向井さんを知ったのは、『有吉の壁』のレギュラー放送が始まった2020年のことだろうと思います。前述の通り、わたしが記憶を失うぐらいにハマったのが2022年の8月か9月ぐらい。謎の空白が開いていますが、実は彼のことはずっとどこかで気になる存在でありました。
なんかね、その謎空白期間に、向井慧さんという存在を強烈に意識する機会が何度かあったわけです。一個目は一般人の壁、おそらくバツが出たネタの後、有吉さんが「アイドル芸人」と彼をひやかして、それに向井さんが「もう35だよ」と毒づくというくだりがありました。
なんでそんなやり取りが印象に残ったのか、その時も今もわかりません。あんまりテレビで聞くとは思っていなかったやりとりだったのかもしれない。その当時のわたしは、20代の彼がどんな感じでテレビに出ていたのかまるっきり知らなかったのです。なぜって家にテレビがなかったから。

パンサーがテレビに出始めた数年間、うちにテレビ専用機(あんまりそんな言い方しねえだろうなとは思います)というものがなくて、その代わりに地デジ対応のデスクトップパソコンがありました。2011年のデジタル移行のタイミングで、買い換えたパソコンです。それまでのアナログ対応のテレビは処分してしまいました。場所空いていいなあって思っていたんだけど、テレビ見ている間にパソコン占有されるのに耐えられなくて、結局全然テレビ見なくなっていきました。
結局うちにテレビ専用機が復活するのはそこから数年後になるのですが、一回なくなったテレビを見る習慣はおいそれと復活しませんでした。単純に、生活ルーティンからテレビを点けるというのが消えている。あと、見てもいないのに流しているみたいなことができなくなった。つまんねえなあ、っとちょっとでも思ったら、もうつけていられないのです。
有吉の壁は、その中で意識して見ていた番組でありました。twitterで、(内村プロデュースみたいな番組やってるんだなあ)と知ったのがきっかけ。
テレビを手放す以前に熱心に見ていたのが内村プロデュースでした。あれは自分が好きだと心から思えるコンテンツと、好きだと胸を張れるコンテンツが一致した幸せな体験だったのです。

話を向井さんに戻します。
彼を強烈に意識した二つ目の出来事、という程のものでもない些細な気付きがありました。
あの人、笑うときに目が半月形になるときがあるんですね。よく見かける、目がなくなっちゃう特徴的な笑顔じゃなくて。
あれを見た時、(あ、この人イケメンだ)って思ったんです。顔立ちが整った人にゆるされる、表情の崩し方だなと思ったの。モテの人だなぁって思いました。わたしはよくよくうっかり、漫然とテレビを見ているので、彼の顔をちゃんと見たことはその時までなかったんじゃないでしょうか。

三つ目の出来事はわりに最近です。ふと興味を持って画像検索をしてしまいました。
その頃になるとYoutubeで芸人仲間のチャンネルに出ている彼のトークを見ていたこともあったので、なんとなくの人となりは知っていました。イケメン芸人扱いでの雑な消費に複雑な思いを抱いてきたこととか、でもそこを否定してしまうのも違うと思っているんだろうなってこととか、ああ、あるよねえそういうこと、みたいな気持ちで受け止めていた。
まぁでも、全然わかってなかったなぁ、あの頃のわたしは。
画像検索結果には、2015年の男前グランプリ当時の写真だとか、その頃の画像が大量に出てきました。
わたしは現在の、大人の顔になった彼を大変に好ましく思っていて、むしろ正直な話最高の仕上がりじゃないですかね? という主張を持っているのですが、そのわたしから見ても20代後半と思しき彼は、絶句するほど可愛らしかった。
ぞっ、としたのをよく覚えています。

これは無理だ、この人をアイドル扱いしてきゃあきゃあ騒ぐなってのはおよそ無理な話だ。ある種の女性たちがどうしようもなく好む男性の特徴を完璧に備えてしまっている。
こういう人が、お笑いのステージでどういう目で見られるかを、自分の記憶に照らし合わせて考えてしまったのです。

わたしはパンサーでいうと尾形さん世代です。ほぼ同い年。
2011年より前、うちにテレビがあった頃。その頃のわたしはそこそこアクティブにさまざまなエンタメを追っていました。そしていろんなエンタメの場で、なんとなく薄らと、いろんな人に共有されていたある種の考え方の影響を、わたしも受けていました。
「女性人気は見た目の良さやわかりやすさ重視の人気先行。男性人気が出たらそいつはホンモノ」
映画の試写会なんかで関係者がうっかりそんなことを言い出して、SNSで炎上して、みたいな流れが発生するのはもっと後の時代で、その頃は当の女性にも、そうした考え方を受け入れて、なんなら自分のものとしている人がいました。
お笑いも、いや多分お笑いが一番キツかったんじゃないだろうか。今もそんな考え方は残っているなと、たまに感じるときはあります。
内村プロデュースがものすごく好きだったのは、そのあたりのしんどさを棚上げして、女のわたしが好きだと言っても自然で、心の底からお笑いを楽しめる番組でもあったから。

そんな次第で、(これは向井さん、しんどかったろうな。え、すげえハードモードじゃん)って思いました。そしてそれが、ハマる寸前の、最後の理性ある思考です。そこからしばらくは、再三言いますが、まともな記憶がない。

「好き」のおそろしい衝動を理性で吸収し、節度ある重めの向井ファンとなった現在のわたしの話をします。
『トークサバイバー』の向井さん、めっちゃくちゃ面白かったですね。面白かったし、新鮮でもありました。あんまりこうした場で前線に立つことのない向井さんが話してるからってことじゃなくて、視点が。
あそこで話したことは『#むかいの喋り方』のベストアルバムだよってのはご本人の談話だけれども、あの場でキレよくまとめられたむかいの喋り方は、そうだなあ。
イケメン芸人扱いの弊害も、過去の恋愛体験も、極めてパーソナルなお話でした。結果としてどういった人物像ができあがるかはさておき、徹頭徹尾、彼の話の刃はずっと自身の内面に向けられていたと思います。
誰かと比べて優劣を付けたりしたらわたしの好いたものがぺらぺらに安くなってしまうし、そういった意図ではなく、単純にそうした話をする人を、わたしはあんまり見たことがありませんでした。そもそも彼のネタの角度が、あの場所ではものすごく新鮮に響きました。

あの立ち位置であの見た目であのキャラクタで、ずっとお笑いの現場でそのまま頑張っている人って珍しいのかもしれない。路線変更したり、戦場を変えたり、あるいは表舞台から去ってしまうこともあるのでしょう。
ネタバレになってしまうから書けないけれども、最終話に拍手喝采したトークがあります。ああ、あの頃わたしがしんどいなあと感じていた、あれの矛先には向井さんもいたんだなあと思ったし、そういう意味では胸がすく思いでした。
そんで、この人は女性人気も引き受けてくれるつもりなんだなあって確信したんですね。わたしの好きだったアーティストたちもよく「最近はライブに男性客が増えて、男に認められるのは嬉しいですね」みたいなことを言っていて、まあたしかに客層が分厚くなるのは良いんだけどこっちとしちゃあんまり素直に受け取れねえな! みたいなモヤモヤも抱えてきて、好きなセレブリティの口からそうした言葉が聞ける日が来るなんて全然思ってもみなかった。
おい、2011年のわたしよ。2022年には向井慧がいるぞ、って思いました。

と、これがわたしの「向井慧さんが好き」という話の全部です。どこで切って良いかわからない、これまるごと1セットで語らないと気が済まない話。
現在のわたしによる「向井慧さんが好き」という話はずっと更新されているのだけど、そのあたりはだいぶ不躾なので胸にしまっておきたいところです。

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