5万円の湯呑み茶碗を100万円で売るのが仕事

 後ろめたい。上司から、5万円で製造された湯呑みを100万円で売れと言われた。なんで、こんな後ろめたいことをしないといけないのか。わたしは、わからないでいる。

「いらっしゃいませ。こちら、100万円の湯呑みでございます」
「とても、100万もするようには見えねえな」

 わたしに、仕事は向いていない。上司からは『モノは言いよう』だと言われていた。しかし、お客様に嘘をつくわけにはいかない。5万円のものを100万円で売るなんて、わたしにはできない。

 わたしに、仕事は向いていない。

 前に、製造業の仕事をしていたことがあった。規定に則った製品を作れないのは、機械の不具合のせいだった。それを上司に伝えたが、なんの修理もされなかった。顧客からクレームがでていない、これまでのやり方を遵守するつもりらしい。ああ、後ろめたい。仕事というものは後ろめたい。

「この湯呑み、お売りになって?」

 ひとりの老婆がやってきてそう言う。100万の札束を手に持っている。

「100万円ですよ? 本当に買うのですか? それほどの価値がありますか?」

 接客らしくないことを言っているのはわかっていた。つい、本音が言葉になってしまう。わたしに、仕事は向いていない。

「100万の価値があると信じているなら、大切に扱うことができるじゃろう」

 とても、正気とは思えない。

「やめた方がいいですよ。絶対後で後悔しますよ。これ経費、5万円で作られたものですから」
「ほう。5万円。なら、5万円以上の価値があるわけじゃな。1000円で作らせてあるわけじゃないのならそれでよい。滅多なことで壊れなければそれでよいのじゃ」

 よい、のか? わたしは、どうにかして、この老婆を説得して、湯呑みを買わせないようにしなけばならないと思った。このままだと、騙されてしまう。いや、騙されてない? わかっていて買うつもりなのか。それは正気ではない。なんとか、説得しなければ。

「ダメです。この湯呑みは5万の価値しかないので、100万で買っちゃダメです!」
「いやじゃいやじゃ。買うんじゃ。わしは、騙されん。ネットの格安健康器具や、ラジオの健康サプリを買っても、満たされんのじゃ。買うんじゃ買うんじゃ。この湯呑みを買うんじゃ。どうせ、老い先、長くはないんじゃ。好きにさせてくれ」

 老婆は、未亡人だった。子供もいない。難病を患っているらしい。わたしは、これ以上、なにも言えなかった。わたしは、誠心誠意、頭を深々と下げ、地面に頭がつけと思いながら、お辞儀をした。申し訳がない。しかし、これ以上に、なにを示せばいいのか。そんな誠意に心当たりがない。

「お買い上げありがとうございました」


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