『トビウオが飛ぶとき 「舞いあがれ!」アンソロジー』がすごすぎました

『舞いあがれ!』の中で歌を詠んでいた人、
たかしくん、秋月さん、こどもたち、八木のおっちゃん(詩を含む)、そして、ドラマの中では歌は詠んではいなかったものの、リュー北條(北條龍之介)は歌人であったのだ、という前提の元、そのリュー北條が詠んだ歌ということに仮託して、桑原亮子先生が詠まれた歌を掲載したものとなります。

まず…。
まさか作品終了後2ヶ月たってから、まさか「短歌」という媒体によって、登場人物の解像度が爆上がりする、なんてことがあることに、シンプルに驚きました。

桑原亮子先生は紫式部なのだ

これはもう、解説で俵万智先生が書かれている、
桑原亮子先生は紫式部なのだ、ということにつきるのではないかと思います。
紫式部は『源氏物語』の多くの人々になりきって歌を詠んでいました。
桑原さんがなさったことも同じなのだと…。

短歌によって広がる世界

実際に、たかし、秋月さん、こどもたち、八木のおっちゃん、リュー北條…それぞれの詠んだ歌はそれぞれまったく違います。
そして、今詠むと、そうだったのか、この人にはそんなことがあったのか、
こんな思いだったのか…とわかり、ドラマで見ていたものの背景が
突如ものすごい解像度でクリアになるかんじがありました。
そして、また書いてしまうのが、その手段が「短歌」だ、ということが
胸熱です。

たかしの歌

『デラシネの日々』に掲載されたたかしの歌はドラマのなかで一定程度紹介されていました。しかし、もっとほかの歌もたくさんあったこと、その一端が明らかにされています。ドラマ内では、たかしの恋の歌は、「千億の星に頼んでおいた」の歌だけだった、それを秋月さんが見抜いた、という展開でしたが、私にはもう1首あるように思えました。お手元におありの方はP21…いかがでしょう、私にはこれ、恋の歌に詠めました…

小見出しにしちゃいますが、たかしの閨の歌

ドラマのなかでは、第二歌集『連星』の歌は明らかにはされませんでした。
そしてたかしは、『連星』の内容に満足できていないことが描かれていました。
でも個人的には、『連星』で詠み込まれたとされるP35の歌にすごく
胸打たれていました。
これは、、
たかしが詠んだふたりの閨の歌。
(俵先生の解説を見てもそうですよね…)
朝ドラ、という前提もあるでしょうが、舞ちゃんとたかしくんは、
はっきり書けば肉体的な結びつきについて、意図的に希薄に描かれていたように思いますが、そうしたふたりの、匂い立つ閨の描写が短歌として描かれていることに感動してしまいました…。
桑原先生のお歌、情景が目に浮かぶような情感があります。
子供の描写としてはP41なども心に響きました。
P43の「餅花」の捉え方も胸にぐっさり刺さります。
たかしの抱える胸の苦悩も描かれます。
最後、もう一度舞ちゃんに救われるたかしの心を詠んだ歌でたかしの章が終わるのも胸熱です。

秋月さんの歌

そして、秋月さんパート。
歌の表記の方法からがらっとかわります。
「禁」「死後」など秋月さんの心激しさが伝わる言葉が連なります。
P63の激しさと胸に抱える悲しみ…
俵先生も触れられている、P64のメールの歌は圧巻でした。
私はP67のイヤリングの歌が大好きです!
大大大大好きです!!
そしてP70!
たかしへの思いをこう歌うのか、と思うと秋月さんの後ろ姿を思い出すようです。
好き、秋月さん…好き!

北條龍之介の歌

P85 2首目から、もう、「好き…本当に好き…」てなります。
私は本編を見ているときから、リュー北條に何度も恋に落ちたのですが(え)、改めて恋に落ちました。好き。
そしてP86の1首目もぐっと胸をつかまれます。
P87の1首目もすごい。
愛、愛です。愛…
別れてしまったふたりのように詠めますが、
なんとなく、実はこの歌の相手と結婚していて、
リュー北條にはおうちに帰れば若い頃からの恋女房がいるんだ、
なんて思うと、
うわぁぁ、好きぃぃぃ
ってなります。(なりますよね?!)

私は日頃、短歌を読むということがほとんどないのですが、
ドラマという入口があったために、この『トビウオが飛ぶとき』で読む短歌の理解がすっとでき、そしてドラマも短歌も解像度があがる、という
とても幸せな経験ができました。
そしてなにより短歌が美しい。
短歌ってすごい、なんてすごいんだーーーー😭😭😭という思いにもなりました。

桑原先生のドラマも楽しみですが、これからの短歌もとっても楽しみです!



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