チェリまほ THE MOVIE が開く世界

チェリまほ THE MOVIE の上映が開始しました。
あまりに素晴らしくて思わずnoteを開設してしまいました。
(これが最初で最後の投稿になる気がする…)
はじめフセッターにまとめていたのですが、フセッターという守られたところで書いているだけなのもなと思い、noteに。

以下、映画についての考察。ネタばれ含みます。そして、私もまだまだ勉強不足なので誤りや不快な箇所があったら申し訳ありません。

はじめて観たとき、原作を読んでいるにもかかわらず、映画で結婚式を描くということをまったく想定していなかったので感情が爆発し、そのあとふたりで意を決して歩き出す最後にあまりにも心がつかまれて茫然として帰ったかんじでした。きゅんきゅんしたり感動したりしながら観ていたのが、最後、ひやっとして終わったという印象でした。

私が今回の映画で(勝手に、余計なお世話ながら)気にしていたのが、クィアベンディングであるという批判を受けることでした。ドラマ版のとき作品や俳優さんに対してそうした批判があったのを実際に目にしたことがあるというのもあります。

私は今まであまりBLに触れたことがなく、チェリまほがBLとのエンカウントでした。ドラマから入り、今は原作も熱愛しています。あまりにも好きすぎて素晴らしくて、自然といろいろなことを考えるようになって、いろいろ資料を読みました。素晴らしい作品だけに根幹の部分が疑問視される状態になってしまうと受容が難しいなという懸念を抱いていました。

しかし、そうした懸念を事前に払拭する出来事が2点ありました。
1点目は以下の原作者豊田先生のツイート。

2点目は以下の本間かなみプロデューサーのトークショーへの参加。

豊田先生の表明や本間プロデューサーのこうした企画への参加は、チェリまほが描く世界を決してエンターテイメントの娯楽として享受(強い言葉を使えば搾取)するだけに終わらせない、という態度を表明したものであるといえ、非常に勇気と覚悟のある行動だなと心からの敬意を覚えました。
雑誌のインタビューでも本間プロデューサーは社会問題としてしっかり受け止めていること、豊田先生の意志や原作の持つメッセージ性を重視してることを随所で述べておられることも着目されます。

そうした背景があり映画を実際に見て、最後のふたりの場面にひやっとしたのですが、改めてそこに本作の素晴らしさが象徴的に表れていたなと思います。

結婚式のあと、安達と黒沢は多くの人々がいる公園(?)の道を手をつないで歩き始めます。そのとき意を決して歩き出す表情が描かれるのが印象的です。はじめにすれ違った男女二人組は、ふたりが手をつないでいることに目をやり、こそこそと話をします。でもふたりは一瞥もしない。とにかく前だけを向いて歩いていきます。ふたりが手をつないでいることになんの注視もしない人々もいます。この間ふたりは互いを見る様子もなくとにかく前を向いて歩き続けます。互いを見る様子もないということは親しく語らってもいないということです。すごく緊張感がある背中で、だからこそふたりの、ふたりの関係を隠さずに前を向いて歩いて行くという覚悟が強く伝わってくる場面になっています。

そしてこのふたりの後ろ姿を見せられることで、あぁ、この世界はまだ安達と黒沢がこんなにも覚悟を決めなければふたりで手をつないで歩くことも困難な社会なのだ、ということをあぶりだしているといえると私には思えました。

その後多くの考察を読んで、結婚式のシーンそのものがまだかなっていない夢なのではないか、という指摘に本当に胸をえぐられる思いがしました。
あの幸せな結婚式シーンはまだ叶っていない夢。
なんて切ないんだろうと思ったからです。
確かに絵本ではじまり絵本で終わる、おとぎ話は魔法が解ければハッピーエンド、でも…ということを作品のはじめと終わりに示していることを考えると、あの結婚式はおとぎ話のなかだけのものという解釈もできて(というか、2回目、3回目を視聴した現在、私もあの結婚式は叶っていない夢なのかな、と思うようになっています)、そのあとのふたりの背中を思い、感情が揺さぶられます。

しかし、この、揺さぶりを起こして本作が終わる、ということが本作の非常に大きな挑戦であり、素晴らしさなのだろうと思うのです。
よかったよかった、ハッピーエンドだ、ではない(ふたりがイチャイチャしているところで終わらせることだってきっとできる)、あぁ、ふたりがこれから歩いて行く道が幸せであってほしいと祈りにも似た思いを見る者に呼び起こして終わる。それは社会を変える一歩につながるのではないか、と思えます。

以下の書籍で、アジアの国々で同性婚の法整備にBLファンの応援が寄与しているという論考が載せられています。

私は、映画視聴3回目は原作未読(すなわち原作がパートナーシップ制度などを扱っていることを知らない)の知り合いと一緒に見ました。
その知り合いが、「理不尽に異動させられない自分になりたい」という安達の発言に本当にびっくりしたと言ったうえで、好きな人同士がふたりで生きていきたいって言っているのを妨げる理由が本当にわからなくなった、と言っていたことが非常に示唆的でした。
私は原作を読んでいるので、ある程度ストーリーの予想がついていましたが、まったく初見の人が映画の100分強の時間のなかで、そうした感想を自然と持つに至る、これは本当に大きなことだなと思いました。

また、その知り合いが、両親が受け入れる過程が、本来あれほどすんなり受け入れられることは少ないかもしれないけれど、あなたが選んだこと、選んだ人だから、幸せになってほしいから、あなたを幸せなほうに変えてくれた人だから、という理由で受け入れる姿を映像として可視化させることで、本質を凝縮させる効果があったと言っていたことも、非常に納得させられました。

本作のパンフレットには桜庭一樹先生が寄稿されています。

「たとえば自分は、“チェリまほ”を観る前は、いつか差別がなくなるといいなと思っていましたが、観た後でようやく、一人一人のかけがえのない生身の人生がここにあること、一刻を争う、人の命のかかった問題だということが理解できるようになりました」

私もこの文章のとおりです。チェリまほ以前は概念として同性婚なども法整備されるといいのにと思っていましたが、チェリまほ後にはそれを強く実感を伴って思うようになりました。
そして先生のツイートにもあるこの最後の一節に非常に胸打たれました。

こうした内容をパンフレットに掲載するという点にも、本作にかかわる制作者の意志や覚悟が伝わります。

もちろん、豊田先生ご本人がおっしゃるように、まずはラブコメとして、そしてエンタメとして楽しむ、のが大前提だと思います。
予告でも使われているオムライスのくだりや写真のくだりなど、なんだよもう、バカップルか!好き。とか突っ込みながら私も観ています。
海のシーンはなんて映像がきれいなんだろう、と胸打たれたり、
黒沢が安達に耳打った言葉はなんだったんだろう、知りたい、でもふたりだけの秘密なのも素敵、感情が爆発するな。と思ったりしています。
履歴書の場面(原作を読んだときこの場面を実写で観たいと思ったので、夢がかなって映画館で、内心万歳三唱しました)で、黒沢本当様子おかしいし、それをおかしいなって思いながら受け入れる安達最高か、、と思ったりしています。
あととにかくふたりが互いを愛おしむ姿が美しい。珠玉の恋愛映画だとも思います。

でもそれだけでは終わらない。
結婚式が現実か夢かは、観る人が様々に解釈しているのがわかっておもしろいです。解釈の余地があるのも本作の魅力。
また、最後公園を歩き出すのは、ふたりがパートナーシップ制度の手続きに向かうのではないか、という考察を読んで、なるほど、そういう見方もできるなぁと思ったりしました。

心にそうした一石を投じるものを残している、それが本作が果たした大きな価値ある一歩なのだと思います(かつ、今後も続くと考えられるBL作品の映像化に一石を投じたのではないかと思います)。
ひとまず私もマリフォーサポーターになりました。

さて、あと何回観られるかな。もはやロスを恐れる境地です。
はぁ。チェリまほって最高だな。

#チェリまほ #チェリまほTHEMOVIE    #豊田悠


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