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住めるではなく住む場所を作る

僕は大学の進学に合わせて上京して以降、社会人になってからも転勤や海外駐在を繰り返し経験して一箇所に留まらない根無草的な生活を送ってきた。
その間に色んな街や国に住んで思ったのは住めば都という言葉はその通りであること、そこでの経験次第で住んでいる場所は素敵にも嫌な所にも成りうることだ。

例えば、お店が沢山ある若者が多い街。
テレビで放送され若者に人気なんですよ、と言われると住んでみたくなる。
でもテレビで放送されない路地裏に一歩足を踏み入れると壁は落書きだらけ、電柱は広告の剥がし後だらけ、ゴキブリやネズミと出くわすことだってある。

例えば、海沿いの街。
波音を聞いて穏やかに過ごせる事に憧れるが、海を見てみたら工場排水の泡だらけプラスチックのゴミだらけ。

例えば、山沿いの街。
小鳥たちの囀りと共に目を覚ましてコーヒーを窓際で飲んでみたくなるが、窓を開けたら網戸にしていても虫がいっぱい入ってくる。
森林破壊の影響で住処を追われた熊や猪が侵入してくるかもしれない。

じゃあ、どこに住めば良いのか?
自分や家族が差程不自由なく過ごせるならば何処でも構わないというのが僕の答え。
アンチテーゼ的な事を言ってしまうと、僕はこのハッシュタグが好きではない。
"住めるならば"、それは何処かで誰かが整えた環境にお邪魔すこることを前提としている。

ゴミが散乱している場所でも覚悟を決めて近隣の人を巻き込んでゴミ出しのルールを徹底。
更には壁の落書きを消せたら、住んでいる街はきっと他の人には魅力的に映るだろう。
綺麗な街でゴミをポイ捨て、夜遅くまで大音量で外で騒いだりして近隣住民に迷惑を掛けまくったら、その街に住んでいる人は君の周りから離れたいと思うだろう。

何も手を加えずに自分の理想の住む場所は成立しない。
だからこそ、自分の住んでいる場所が他の誰かにとっても住みたくなる場所となるように努力をしなければならない。
個人で出来ることには限界があるので、僕の書いていることは机上の空論かもしれないが・・・

オシャレな街、自然に囲まれている村落。
何処であれ、手入れがされなければ劣化する一方だ。
コミュニティの一員として住んでいる場所を良くして行ければ成果を感じられ、きっと住んでいる場所は素敵になる。
その覚悟があれば何処でも住めば都になるだろう。
逆に寄生することしか考えないならば、何処でも大した思い入れを手にすることは無いだろう。

こんな事を言われてもどう行動を起こせば良いのか困るだろう。
それならば最初は近隣住民の人に会ったら挨拶を始めてみるのが良い。
僕は海外に駐在していた間、言葉が通じなくとも挨拶だけはし続けてきた。
やがて近隣住民の人は僕を見掛けると声を掛けてくれるようになった。
何を言っているかは殆ど分からなかったけど、海外で心細かった僕にとってそれはとても有難い経験だった。

ローマは一日にして成らず。
良くしたいという気持ちがあれば何処でも素敵な掛け替えのない場所になると僕は思う。

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