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一生懸命やると他人とぶつかる

あまちゃん再放送

NHK BSでやっているあまちゃん再放送が毎週日曜の楽しみになっている。今日もよかった。細かい言い回しはちゃんとおぼえていないが、海女のアキちゃんのセリフで、

「自分自身の人生に、一生懸命になってない時間なんてないべ」

というのが、今日一番印象に残った。

本当にその通りだと思う。人から見てダメに見えても、本人は一生懸命考えていて、どうすればいいかわからない状況でも、それでも必死で生きている。

一生懸命だと他人とぶつかる

考え方が違う人間同士でぶつかって、結果仕事から外されて辞めたことがあるが、今思うと、お互いに譲れないことがあって一生懸命ぶつかった結果だからしょうがないと思う。こっちも仕事に家族の生活がかかっているから、本当に迷惑な話だが、相手も一生懸命だったんだろうし、まあしょうがない。

あまちゃんでも出てくる人みな一生懸命生きているから、よくぶつかり合ってけんかしている。

工場で製品を組んだり運搬したりする産業機械では、保証期間は納入後何年もしくは稼働数千時間と区切ることが多い。言ってみればメーカーとしては保証期間が過ぎればもう責任はなく、その後のトラブルは有償対応になる。だから数年後にやってくるメンテナンスを犠牲にしても、機能を増やしてなんでも対応できることを売りにして、受注確率を上げたくなる。

無理に機能を増やした分は無駄な動きが多くなる。あんまり使い道のない機能をとりあえずいつでも使える状態にしておくために、運転時間に無駄が発生してしまうことがある。

しかし設計者にとっては、深い知識がなくても扱えて、頑丈で長期間現役で使える機械にしたい。メンテナンスが簡単でランニングコストが安ければなおいい。

これは理想論に聞こえるし、短期的には会社の利益にならない。もちろん長持ちしすぎると儲けにならないのはわかっている。しかし保証期間が過ぎた後のトラブルやクレームがあった場合、設計者がお客さんと直接話し合って対応することが多い。なのでできればもめたくないし、長い目で見たら今後のさらなる受注につながるような良い装置をつくりたい。この仕事を始めてすぐの頃に、あんまり考えずに設計した装置でクレームに悩まされたことがあり、なおさらそう思っている。

自分が関わった装置はなるべく余裕をもったシンプルな構造にし、トラブルを出したくないし、たとえトラブルがあっても対応できる余力をもった、無理のない機械にしたいと考える。

私は設計者の立場で、上記のようなことを主張して内部で対立してしまった。折れればよかったといわれるが、言われた通りの装置を作った場合、その後トラブルで追いつめられるのも自分だし、対策案を出すのも自分なので、折れることはできなかった。

その結果、組織の外へ放り出されて、今は専業主夫をしている。キャベツが先週一玉150円だったのに、今日は200円だ!どうしよう。とか言いながら、家庭生活を楽しんでいる。

設計次第では人間より長寿な機械もつくれる。
(写真は戦艦大和の主砲を加工したという伝説の工作機械)

立場が違うと考え方がずいぶん違う

今度は装置を使う立場の目線で考えてみる。

複雑すぎる装置だと、メンテナンスできなくて、故障の都度お金を払ってメーカーに依頼することになる。ここぞとばかりにメーカーはASSY(一式)で交換をおすすめして、必要ではないところもまとめて交換。しめて毎年数百万円、メンテ完了まで一週間後とかになる。
シンプルに設計された装置なら、緊急時に必要な部品をメンテ担当者が変えるだけで済み、数十分で復帰でき、あとは長く止められるタイミングを待って、次壊れそうなところをじっくり変えていけばいい。

機能を盛り込みすぎても使いこなせない。どれを操作したらいいか混乱し、操作ミスを誘発して壊してしまうことだってある。

現場の人では修理できない大きなトラブルが発生したら、まず工場のエンジニアが呼び出される。赤ちゃんを寝かしつけた深夜でも、正月でも関係なく電話でたたき起こされて、背中に現場のプレッシャーを受けながら機械をなおす。いつトラブルがあるかわからないので、祝日でも会社にすぐ行ける範囲しか遊びに行けないとか、帰宅後に飲酒していい人をローテーションで決めている会社もあった。

現場シフトのリーダーは停止時間や復帰までの目安を上長に随時報告しなければならない。エンジニアが直せなければメーカーを呼ぶ。その後報告レポートを作って、翌朝ミーティングで上長に見せて怒られる。あなたの担当の装置が故障した時間で、計算すると数百万の機会損失となっているが今後どうするの?みたいに。

簡単な故障ならいいが、近所の金属加工屋さんではつくれないような複雑な部品だったり、マニアックな購入部品を使われていて、修理するには海外から取り寄せて空輸しても最短で来週とか言われたときは解雇覚悟で機械ごとたたき壊したくなる。イギリスにしか売っていないベアリングが壊れて途方に暮れたこともあった。

ソフトの組み方も、詰め込みすぎて流れがわからないぐちゃぐちゃなソフトを作ると、その後の改造がしたくても、作った人しかわからなくて、その人が辞めたら誰もフォローできなくなる。制御装置やサーボモータやロボットなどは一日24時間稼働していると大体10~15年で更新時期が来る。こういうときにシンプルで余裕のある設計でないと、後継部品に置き換えることができず、故障したら装置一式廃棄となる。

センサがひとつ壊れたがなんとか稼働させたいということは工場ではよくある。そんなときはセンサの回路をジャンパ(無効化)する。特殊なセンサネットワークを使っていたりすると、配線一本ショートさせて無効化OKというわけにはいかないが、ちょっとソフトを触ったことがある技術者なら、PCをつないでソフトをいじれば一瞬で無効にできる。しかし開いたソフトが難しすぎると、どこを無効にしたらいいかわからなくて戸惑う。結局センサを入手できるまで数時間装置を止めておくことになる。

私もかつてプログラムを組んでいたが、あれもこれもほしいと、追い込まれて無理やり作ったプログラムは、作った本人でさえも分からず、その後のフォローは出来なくなる。そうなってはいけない。自分の力では難しくてできませんと表向きは言いつつ、本心ではできるけどやったら終わりだと思っていることもある。

最近よくみかけるロボットを搭載した装置であれば、さらに簡単にわかりやすいプログラムを心掛けなければならない。停電後とかロボットがどこかに衝突したとき等の復帰時に、エンジニアがパッと見て原点復帰できるプログラムにしないと、社内のだれ一人として復帰作業ができず、メーカーやロボット会社を呼んで復帰してもらうまでの数時間は稼働できなくなる。

加工機であれば、生産技術の部隊が、加工したい製品が増えるたびにロボットにプログラムを追加していくことが多い。そういう場合は設計者以外の人間でもある程度理解できて変更できる組み方のロボットプログラムにしておかないと、納入直後はいいが、その後は誰も使いこなせず意味のない装置になってしまう。

設計者が引退するとき

こういう現実をすべて背負って設計しているから、譲れないことが増えてきて、年寄りはがんこで使えないと言われてしまう。ここまで書いてみて、たしかに若い人のほうが、よけいなことを言わないから断然扱いやすいと思った。そんなこんなで、本音はもう隠居したい気持ちと、おもしろい機械をもうちょっとつくりたい気持ちで揺れ動いている。

自分の社会人としての賞味期限はもう切れかけているんだが、働かないと家族が怒る。人生どうにもできないことの連続だ。中年になっても、思春期のころよりも悩んでいる。設計はもう無理でも、どんな仕事でも誰かの役に立って感謝される仕事ができればそれでいいような気がする。

そう考えていたら、まず自分自身だれかに感謝していなかった気がするので、まずはスーパーで買い物したときとか、食堂で食べた後とかに、レジでありがとうって言ってみようと思った。変なおじさんが来たと思われるかもしれないが。

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