剣道よ 刃筋は何処へいった?
竹屋流剣道具師の家に生まれ剣道に関わってきた。父のあとを追い剣道具師の道に入った。竹屋流は高野佐三郎先生と共に剣道具を研究してきた流派である。
少年剣道はやったが、中学は陸上、高校は1年で剣道部からフェードアウト、大学はとりあえず剣道部に在籍、試合には縁がなく何度か出た試合でもほとんど勝てなかった。それでもなんとか五段までもらえた。
それは「俺は盆栽ではなく大木を育てたいんだ」という信念をもった少年剣道の先生が基本をしっかり教えてくれたお陰だと思っている。
大きく打ちなさい
遠間の稽古をしなさい
大きな声でやりなさい
竹刀は刀の代わりだと思いなさい
少年剣道時代に主に口で教えられて覚えているのはこの4つで、あとは稽古で導かれた。大人になってからも
構えを研究しなさい
足捌きを研究しなさい
剣道形をやりなさい
かかり稽古をしなさい
等、基本的な剣道の学び方を指導いただいた。
今思えばそれが剣道具作りに多いに役立った。
形ができるようになると型紙を理解できるようになってきた。
なぜこの形になっているのか、こういう形だからああいう動きができるのか、基本として教わった剣道の動きをするにはこういう形でこういう使い方が良いのか、剣道具作りを始めて20年位経つ頃にはそういう事まで思いを巡らせられるようになった。
ふと剣道雑誌を見てみた。
そこには竹屋流の甲手ではできなそうな打突の瞬間の写真が載っていた。
ん?ああいう動きができないといい甲手ではない?
ん?現代の剣道はああいう動きがいい動きなのか?
剣道具作りばかりしていたため時代に取り残されたのか?
そういえば以前来た何処ぞの道具メーカーの社長がうちの甲手をみて
「昔の甲手ですね!今は違うんですよ!」と言っていたな。
時代と共に変化していくのは必然であり、変化しないのは不自然だ。
ただ記憶が正しければ未だに有効打突の条件に
「刃筋正しく!」
と謳ってあったはずだ。
あれはどう見ても平打ちにみえる。
剣道よ 刃筋は何処へいった?
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