変わらないもの、信じられるもの

どうしてなれないものを追いかけているほうが幸せなのだろう。なれないと分かっているものに憧れて。届かないものを目指して。…私に目を向けてくれている人たちがいるのは分かっているのに。

どれだけ続くか分からない幸せに今のすべてを捧げてしまうくらいなら、一生手に入らないものを追い続けるほうが魅力的に見えてしまう。
手に入らないことは確実だから。失ってしまうかもしれないもののように、不安定ではないのだから。
一生をかけても届かないという事実は、絶対に変わらない。手に入らないから、安心して追いかけていられる。…そういう安心感があるのも事実。だから私は、私のヒーローや彼を好きでいるのでしょう。
生きる人間ほど、不確定で不確実なものもない。自分も含めて、生きる人間は不安定なのです。…だからこそ、魅力的なのもよく分かるけれど。
言葉が届くかどうか、受け入れてもらえるかどうか。そうやって悩むのは、人間関係の醍醐味かもしれない、とすら思いますもの。
そして、生きた人間の不安定さが魅力に見えて、受け入れてほしい、受け入れたい、愛したい、愛されたい、などと思うのでしょうね。

…そうは言っても、自分も相手も、常に変わるもの。変わっていってしまうもの。同じ形ではいられない。その不安定さが、私はどうしても怖い。

…変わらないものでないと、私は信じられない。
私のヒーローは、絶対に変わらない。あの人の言うことならすべて信じてもいい、とすら思えるくらいに信じているし、信じられる人なのです。
…それはやはり、生きていない人、だからこそ。

生きる人間に、夢を見ては悪いから。私の幻に付き合わせてはいけないから。
作家も、歌手も。死んだ人の言葉は、もう二度と変わらない。だから信じられる。
フィクションも、作られたストーリーは、絶対に変わらない。だから全力で楽しむことができる。この心のすべてを懸けて信じられるし、彼らを愛することができる。絶対に私のものにならない、という事実ゆえに、すべてを捧げることができる。
…信じられるものは金銭のみ、という言葉も、そういう理屈でなら理解できる気がしますね。間違いなく、簡単には変わりませんもの。絶対の愛など、人間が持てるものでもありませんでしょう。それに比べればずっと、信用できるものではあります。

私にも、変わらない自信はありません。だからこそ、相手に不変を求めることもできない。絶対を誓うことなどできない中で、相手に何かを求めるなど、私はしたくない。だから私は、極力変わらない存在でありたいと思う。私を信じてくれる人が不安にならないように。
そのためには、私が相手を変わらずに想う必要がある。変わりうる存在を。…自分自身すら不確定なのに。でも、不確定な存在を信じる不安は、私が知っているから。私は、変わらないものでありたい。


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