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なぜ生きるのか

こんばんは。

今日はあんまり婚活に関係がないようなちょっとあるような、とりとめのない文章になっています。

お時間ある方、ご興味ある方はどうぞお付き合いくださいませ。

ここ数日体調が悪くて気持ちがどんよりしています。

それもあってか今日仕事が終わって帰るときにものすごい虚無感に襲われました。

「あー晩ごはん何食べようかな…」

「冷凍庫にうどんがあったしそれでいいや」

「帰っても別に誰がいるわけでもないもんな」

思考のそのあたりで虚無になりました。

朝起きて仕事に行って誰が待っているわけでもない家に帰ってきて1人で晩ごはんを食べてシャワーを浴びて寝るだけの生活。

仕事以外誰とも会話しない生活。

恋人もいなけりゃ友達もいない。

趣味もない、テレビも観ない、お金もない。

たまにゲームをするけど30分くらいでめんどくさくなってやめる。

最近資格の勉強をしていてしんどいながらも結構楽しいのですが、それも別に取ったからといって仕事に役立つわけでもお給料が上がるわけでもなくて、ただ私が興味があっただけなので、ふとした瞬間に「なんでこの勉強こんなに頑張ってやってるんだろ…」と虚しくなります。

そんな虚無感を感じている今、思い出したことがあります。

それは、私がかつて同じように悩んでいたときに導き出したひとつの答え、
「別に生きる理由なんかいらんのかもしれん」です。

私には、生きてるなかで定期的に「なんで生きてるのかわからない期」がやってきます。
それがあまりにも酷くて、もう生きるのをやめようと考えたこともありました。

自分はなんのために生まれて、何を目的に、何を目指して生きないといけないのか?
どうやって生きるのが正解なのか?

めちゃくちゃしんどかった時期、日々の生活に悩みながら毎日そんなことを考えていました。

結果、たどり着いた答えは
「そんなもんどうでもいいや。別に生きる理由なんかいらんのかもしれん。理由なく生きてたっていいじゃん。」でした。

私の母はよく言います。
「人間には人それぞれ生きてるなかで達成しないといけない使命があるんよ」

私も昔はそう思っていました。
どんな人間にも何らかの役割があって、何らかの使命があるのだと。

でも悩み抜いた結果、なるべくそうは思わないことにしました。
役割があるとか、使命があるとか、それを達成しなくちゃいけないとか、そう思うことが自分の生きづらさの一因になっていると気がついたからです。

「生きているからには、何か世界の役に立たないといけない。何かを成し遂げないといけない。そうじゃないと自分に価値はない」
そう思ってしまって、ずっと苦しかった。

私はその苦しみを手放すことで、少し楽になりました。

「別に何かをやり遂げなくても、上手く役に立てなくても、偉大な人になれなくても、ただ生きていたらそれでいい。なんで生きてるのか、それは生まれてしまったからとしか言えない。何に向かっているのか、毎日着実に死に向かっているだけだ。じゃあどう生きたらいいのか。死が訪れるまでの間、自分や周囲がなるべく心地良い時間をより多く過ごせるように生きたらいいんじゃないか。」

そう考えるようにしました。

自己中心的な考えかもしれませんが、自分が生を手放さないために、こう考えるのは思いのほか楽になれました。

ただ、この考え方は少しつまらない部分もあります。

「別に生まれたから生きてるだけだしもう仕事も勉強も料理も頑張らなくてもいいやー」

と思ってしまったりするのです。
それがたまにやってきて、燃料切れみたいになって何もしたくなくなります。

だから、生きることに大きな理由はいらなくても、小さな理由や目標や生きがいは欲しいのです。わがままですね。

小さな生きる理由、そのひとつとして自分が考えたのがパートナーや家庭を持つことです。

私が結婚したいと思うのは、きっと、心地の良い安心できる瞬間を増やしたいからです。
誰かと協力して日々を作っていくことで、生活に張り合いや生きがいがほしいからです。
そして漠然と不安で虚無な1人の生活にずっと耐えていく自信が全くないからです。

とりとめのない文章になってしまいましたが、とにかく私は今ナーバスになっています。

ただ、私と同じように生きるのが苦しい人や日々に悩んでいる人にとって、少しでもその辛さを軽くするヒントにでもなってくれたら嬉しいのですが…。

今日は早く寝ます。


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