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163. おてんとうさまは、自分だったと気づいた話

いつも「誰か」に見られているような気がしてた

子どものときからずっと

いいことをしても
悪いことをしても

いつだって誰かに見ていられているような気がしていた。

一人でいるときだって、
誰もまわりにいないときだって、そう感じてた。

その「誰か」って、誰なんだろう?

それが疑問だった。

「おてんとうさまは見ている」という言葉を
子どもの時聞いた時、なるほどと思った。

どんな天気のときだって、太陽はいつだって
そこにいて、私たちを見守ってくれているのね、と。

でも・・・

おてんとうさまは人じゃないでしょ?
室内にいる時も?

疑問がわいて、消えずにいました。

でも最近、その疑問が解けました。

おてんとうさまは、自分だったんだ

ということに、本を読んで気づいたからです。

私の現在の仕事は、母親業と主婦業です。

褒められなくても金銭的報酬がもらえなくても
自分の行為は確かに家族の役に立っている実感があるので
幸せを感じています。

そこに嘘はありません。

ただ、時折、寂しくなる瞬間があります。


たとえば
普段はできないフィルターまで掃除したこと、
ずっと愚図っていた長男をおんぶしながら家事をしたこと
朝から晩まで次女のワガママに付き合って疲れたこと……

これらは、私が「こうだったんだよ」とアピールしない限り
誰にも気づいてもらえません。
そのことが寂しく思えるのです。

「誰かに気づいてほしい」という気持ちが
捨てきれないんだと気が付きました。

自分で「こうだったんだよ」「ほめて」と
夫にアピールすればいいだけかもしれません。

時々は、それをやっていますが、
いつもやるのは疲れます。

だから、できるだけ、自分で自分を褒めようと思っています。
ただ、それも疲れます(笑)。


どうしたらいいのかなと悩んでいたときに、
自分をずっと見ているような気がしていた誰か(お天道様)とは
自分自身だったと気が付きました。

そして、次の文章に出会い、心がふるえました。

「自分のがんばりは伝わらない……」と嘆くのはもう終わり。
あなた自身が、あなたを毎日見つめているではないですか。

野村総一郎著「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉」

私だけは、私をいつだって見ている。

それだけで、その事実だけで、いいような気がしました。
無理に自分で自分をほめなくてもいいと思いました。

いつも見ているから、だいじょうぶ。
私だけは、いつだって私を見ているからね。

それだけでいい、そう思えました。

子どもの時、親がそばで見守ってくれているだけで
安心を覚えた時のような気持ちになりました。

いつも見ている自分が「好きな自分」「恥じない自分」でいたいです。
もしそうあれたなら、それだけでも幸せだと思います。

最後に

noteを始めたばかりのときは、
他人からもらうスキ(承認)でないと意味がないと
思い込んでいました。

でも、今は違います。

記事をアップするまでの過程まで見ていたのは自分だけ。

だから、「グッジョブ」の気持ちで
自分の記事にスキを躊躇なく押してます(笑)。



本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。