384.誰かが似たようなことを書いていたとしても、自分が書く意味はやっぱりあるんだと思う。
「自分育て」について書くときも、
「子育て」について書くときも、
すでに似たようなことを
誰かが書いているじゃないか、
そう思ってしまうことがあります。
昨日の383の記事で、
PFアキ🐬✨(広報)さんからいただいたお言葉で
気づいたことです。
確かにそうだなぁ。
似たようなことであったとしても、
自分と全く同じ文脈で、
自分と全く同じことを
思っている人はいないんじゃないか
だとしたら、
自分にしか書けないことが
自分が書く意味が
あるんじゃないか
そう思いました。
例えば、昨日、こんなことがありました。
私は糖質ダイエットを継続しているんですが、
甘いものは大好きなので、
小麦粉や砂糖を使わずに
米粉やオートミール、ラカントで
太りにくいパンやお菓子を作るのが好きなんです。
それで、昨日も、
太らないドーナッツを作ったんですが、
子供達は普通のドーナッツを食べても問題ないのに
私がダイエッターの自分のために作った
太らないドーナッツを
「おいしい」「おいしい」と言って
奪い合って食べてしまったんです。
ドーナッツの型はAmazonで買ったこれなんですが、
一度に6個しか作れなくて、
全部3人の子供達に食べられてしまい、
私が食べられたのは、1歳の息子の食べ残しだけでした😂
ほんの少ししか食べられなかったのは残念だったのですが、
子供達が美味しそうに食べてくれたこと
「ミスドのドーナッツより、おいしい」
「また作って」「もっと作って」
と言ってくれたことが
とっても嬉しかったです。
このことを記事に書こうかとも思ったのですが、
迷ってしまったのは、
自分で手作りのお菓子を作って、
子どもが喜んで食べてくれた
なんてことは、もう書き古されたことなんじゃないか。
読んでいる人は面白いんだろうか、
書く意味はあるんだろうか、という思いです。
でも、改めて気づいたんです。
全く同じ文脈ではないはず・・・
ならば、私にしか書けないこと、
私に書く意味があるのでは、と。
というわけで、
これからも「書きたい」「伝えたい」と思ったことを
その気持ちが「ほかほか」のうちに書いていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺️
サポートをいただくたびに、クリエイターの一人として、 とても大きな幸せと励みをいただいています☺️✨