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136. 期待と違ったけど。誰だって期待に応えるために生きているわけではないから。 

期待と違った返信が来た 

大好きなnoterさん(おぱみさん)に
誕生日は「本当の母の日」だと気づかせてもらった。

それは、私にとっては世界が広がる大きな気付きだった。

だから、自分の誕生日に
遠方に住む母に「生んでくれてありがとう」とメールで伝えた。

そして、母がメールの返信をくれた。

お誕生日おめでとう。
みんなでお祝いしていますか。
今年は、その能力を社会で活かすことを目指してもいいね。

正直、期待していたのと違うなと思った。

「生まれてきてくれてありがとう」とか、
「子育て、おつかれさま」とか、
そんな返事を勝手に期待していた自分に気がついた。

「共感」してもらえなくてもいいけど、「理解」してほしい

私は今、育児休業中で、家事と育児に専念している。

母は会うたびに、私に「もったいない」と言う。
「能力を社会で活かしてほしい」というのは、母の正直な気持ちなのだ。

私の能力を認めてくれているからであり、嬉しいことでもある。
したい勉強を存分にさせてもらったことにも感謝している。

私自身、「能力を社会で活かしたい」とも思っている。

発信活動を続けているのも、
「自分にできることを活かして社会とつながりたい」という気持ちがあるから。

ただ、育児休業が取得できるならば、
子どもはすぐに大きくなってしまうから
今しかない子育て期間をゆとりを持って楽しみたいと思っている。

その気持を、「共感」してもらえなくてもいいけど、
母に「理解」してもらいたいと思っている自分に気がついた。

期待してがっかりしたときに、思い出す言葉がある

ゲシュタルトの祈り      

「わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるなら、
それは素晴らしいことだ。

しかし、出会えないのであれば、
それもまた素晴らしいことだ。」
                   
フレデリック・S・パールズ

今回も“ゲシュタルトの祈り”を思い出した。

そうしたら、

私は母の期待に応えるために生きているわけではないし、
母も私の期待に応えるために生きているわけではない

ということに気がつくことができた。

そして、気持ちが少し楽になった。
正直な気持ちのままでいてもいい、と思えた。

期待するからがっかりするんだ、
期待しなければがっかりしないんだ、
そう思ったけど、
「期待しない」ということも難しそう‥。

私も、母も、お互いにそうなんだと思う。

だけど、どう解釈するか、
自分がどう動くかは自分で決められる。


悪く解釈するのはやめよう。

それより、今、自分ができることをしていこう。
やりたいことにどんどんチャレンジして種をまいていこう。

人生100年時代を自分らしく幸せに豊かに生きていく。
それが私の夢だから。

最後に

昨夜、しんりさんがこんなコメントを下さっていた。

135のnoteにしんりさんがくれたコメント


どうしてこんなに温かい言葉をかけて下さるんだろう。
嬉しくてたまらなくて、思わず涙がこぼれました。

これが「ご縁」なのかなと思わずにはいられませんでした。


noteで出会ったすべてのご縁に感謝しています。

本日は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。