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「ほぼ毎日note」の歩み

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ほぼ毎日noteでアウトプットを続ける上での気づきを書いています。
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#感謝

199.「自分のかきたいこと」と「誰かの知りたいこと」が重なる部分を探している

「自分のかきたいこと」しか書けないけれど、 捨てきれない思いがあります。 自分のかいた記事が誰かの役に立ったらうれしいなぁ、 自分のかいた記事を多くの人に読んでもらいたいなぁ、 という思いが捨てきれません。 意識しすぎると発信へのハードルがあがってしまうので、 普段あまり意識しないようにしています。 「つくるを楽しむ」を第一にしています。 でも、みかじさんのnoteに出会い、 この思いは昨年の11月から発信活動を始めてから ずっと抱き続けていることに気が付きました。

「叩きすぎるくらい」石橋を叩くけれど、最終的には「直感」を信じて行動する人間でした。近年は、迷う時間がもったいなくなり、石橋を叩く時間が減少しています。最近「早まったかも」と思う事があったのですが、今日「直感は間違っていなかった」と思い、幸せを感じました。ご縁に感謝いたします🙏

374.自己犠牲じゃない生き方ができる.そう信じられているのは、応援してくれる人に出会えたからこそ.

このつきさんのnoteで この一行を見た時、涙が出そうになりました。 そう、そうなんだ。 私はその道を、 自己犠牲じゃない道を探しているんだって、 気付いたからです. 朝からラジオ体操の当番や 昼食作り、遠方の習い事の送迎などを、 夫が仕事で一人で全てをこなさない日があると、 自分のやりたいことをやる時間が 全然とれずイライラして、 自分と同じくらい大切な子どもたちのためとはいえ、 したくてたまらなかった子育てとはいえ、 「これって自己犠牲なんじゃないか」と 感じ

368. Xでの発信も自分の「得意なこと」を生かせばいい

Xよりnoteが好きなのは、内省が好きだから? Xよりnoteのほうが好き。 それは、「内省」が好きだからなんじゃないか。 noteを書いている人って、「内省」が好きそうな人が多いような気がする。 自己理解プログラムを進めていく中で、 そんなことを思っていました。 でも、自己理解プログラムでのアウトプットや交流は、 noteよりXで盛んに行われていることが 少し気にかかっていました。 そんなとき、 一昨日、自己理解プログラムのオンラインイベントで お話できたYum

367.戻ってきてくれて、ありがとう

大好きな人が戻ってきてくれました 先日、長らくお休みされていた大好きな人が noteの世界に戻ってきてくれました。 とっても嬉しかったです。 戻ってきてくれたのは、 この記事の中でも紹介させていただいたこのつきさんです。 このつきさん、 戻ってきてくれて、本当にありがとうございます。 このつきさんの最新記事はこちらです。 タイトルの【完全版】からも伝わるように 「伝えたい」という思いが ぎっしりとつまった力作だったので・・・・ 「伝えたい」という思いがピークに達

362.やる気が出ない日こそ、noteで出会えた仲間に力をもらうことにしました。

今日、Maicoさんの記事の書き出しに心を鷲掴みにされました 心を鷲掴みにされたのは、 その記事を読んでいる時の私が まさにこの状態だったからです。 Maicoさんが言われているように、 脳も心も身体もキャパオーバーになっているんだ。 潔く「何もしない日」を実践しようかな・・・・ と一瞬思ったのですが、 そんな日でもnoteはアップしたい. だから、どうしようかな.と悩み、 だいぶ前に少しだけ書いた下書きを 中途半端な出来でもいいから アップしちゃおうかなと思い

355.「やっぱりnoteが大好きだ」って思った今朝のこと。

今朝もふらりと読んだnoteでふるえました。 そして、「やっぱりnoteが大好きだ」って思いました。 そのことについて書いてみたいと思います。 そのnoteには、「自己肯定感」についての講義に 参加された上での思いが綴られていたのですが、 読んでいる途中から心のふるえが止まりませんでした。 なぜ、そんなに心がふるえたのか。 それは、御手洗さんが 私の思っていることを 私が言ってほしかったことを 代弁してくれていたからです。 昨晩、長女を怒りすぎてしまって、 後悔して

327. 誰かが必ず見てくれているし、誰かが必ず「応援」してくれているんだと思う。

無理やり自分を奮い立たせていた日に来た、幸せなお知らせ 昨日(3月31日) 私はとてもイライラしていました。 春休みのため、朝から晩まで子どもたちと 一緒の日が1週間ほど続いていたからです。 あーぁ、もう1年の4分の1が終わってしまったのか。 やりたいこと、全然できてない・・・ 苛立ち、焦り、悲しみが混じった気持ちに なっていました。 でも、今日から、新たな気持で始めよう。 4月1日の朝、目覚めた瞬間、 私は必死に自分を奮い立たせていました。 1週間前くらいか

309. 思いを、願いを、共有してくれる人がいる幸せ。やっぱり、思いや願いは外に出そうと思った話。

先日、父が癌と診断され、 転移が見られるため、後日全摘手術をする と母から聞きました。 どうしていいか分からなくて、 でも、どうにかしたくて、 どうにかできるかもわからなくて、 心の中がぐちゃぐちゃになりました。 そのまとまりのない思いを なんとか整理しながらnoteに書いて、 心の外に出したら、 読んでくれた人がいて、 読んだ上で思いを届けてくれた人までいて、 とてもとても嬉しくて 気持ちが救われました。 私のnoteに足を運んでくださる皆さまには、 いつも感謝の

302. いちばん大切なのは目的。でも、フラッグに辿り着いたことはやっぱり嬉しい。

書くからには、多くの人に読んでほしいと思う。その気持に嘘はつけないし、嘘をつかなくていいんだ。 そう気づいてから、心のなかで密かに目標としてきた数字がありました。「500」という数字です。 もうすぐ到達しそうだった、数日前、夫にこう話しました。 そして、昨日、500人に到達しました。 とても嬉しかったです。 フォローして下さった方、本当にありがとうございます😊 「共感」だったり「応援」だったり「なるほど」だったり、 スキにも色々な意味のスキがあるように。 フォロー

286. 読んでくれる人との「つながり」を確かに感じる。その幸せに、私は支えられている。

「つながり」があるから、発信が続けられている noteでの発信を楽しみ続けられているのは、 スキやコメントなどの反応で、 読んで下さっている方との「つながり」を感じられているから。 「きっと喜んで読んでくださる人がいる」と、 思えることが力になっています。 昨日、期限ギリギリで企画「みんなでことわざ図解」に参加したのも、 図解が好きなだけでなく、 山田太郎さんが発信してくださったバトンを 「つなげたい」という思いがあったからです。 心と心の「つながり」は目に見えません

284. 「きっとあの人は喜んで読んでくれる」と思える人の顔が浮かぶ幸せ。

長橋知子さんの記事を読んで、 「スキ」について改めて考えていました。 同じ思いで私も発信しているなと、 気づきました。 多くの人が こんな気持で発信されているんだろうな と思いました。 いや、正直いうと、 私の場合、小さい頃から 「変わり者」と言われることが多かったせいか、 もう幾分かネガティブかもしれません。 私の気持ちを理解してくれる人、 共感してくれる人はいるだろうか。 毎回不安になりながら、 一人でも、理解してくれる人、 共感してくれる人がいればいいなと 祈

247. note生活でモヤモヤしたとき、先人の教えが私を救ってくれる

note生活でモヤモヤしたら、先人の言葉を思い出す noteで発信活動をしていると、 モヤモヤすることって、ありませんか。 私は正直、あります。 たとえば・・・ 私の場合、最近こういうことがありました。 【もやもや例 その1】 相互フォロー関係だった人から フォローを外されていたことに気づきました。 もやもやしました。 私が記事を読みに行けていなかったからかな、 私が記事になにかマズイことを書いたんだろうか、 とか思ってしまい、ちょっと悲しくなりました。 【も

245. どうか、どうか、幸せでいてください。

最近、大好きな人がまた一人いなくなっていたのに気がついた。 私はその人のことが大好きだった。 その人の記事とコメントは、どれも愛にあふれていた。 その人は私に宝物のようなコメントをくださったこともある。 アカウントごとなくなってしまっていたので、 記事もコメントもすべて読めなくなっていたことが悲しかった。 宝物コメントは感激のあまり記事にさせてもらったことがあった。 コピーして貼り付けていたので、 その記事の中で宝物コメントを読むことができた。 記事にしておいて、本当