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HSPだから生きづらいなんて誰が決めた?HSPならではの楽しみ方

最近流行りのHSP。私もとても当てはまる。
だけれど…

感受性が高く些細な外的刺激で心が動きやすいというのはその通りだと感じる。
だけど、HSPだから繊細で傷つきやすく生きづらいと言われると、、
勝手に決めつけてんじゃないわぁぁ!!
と思う。

そもそも、生きづらさなんて傍から見て他人にわかるものなのか?
HSPとそうでない人の両方を実際になってみて体験してみる なんてこと、できるわけがない。
なら、HSPとそれ以外の人について、どうやって生きづらさを比較しているのか?

HSPの人は繊細な人が多い。HSPでない人と比べて傷つきやすいという特性がある。
だから生きづらいだろうって?
それだけで決めつけるのはちょっと強引じゃないか?

そう考えるのには理由がある。

音や匂い、触感に敏感で外的刺激で疲れやすい。
小さなことで悩み、過ぎた失敗を引きずってしまう。
人の顔色を窺ってしまう。不機嫌な人がいると暗い気持ちになる
と、マイナス面だけ羅列すると、確かに生きにくそうな感じになる。

だが、些細な事で心が動きやすいということは、気分の入れ替わりも起こりやすいということではないか?つまり、嫌な気分のリフレッシュも早い。

例えば… 
歩道で前から来た人とぶつかってしまったとき。
"端に寄ったのにぶつかられた。私も悪いのだろうか。どうすればよかったんだろう"
と悲しい気持ちになりながら悩んだり、
"あの人がちゃんとよけてくれたらよかったじゃん!どこ見て歩いてんのさ"
と怒りでいっぱいになったとする

さあ、悲しみや怒りの感情にいつまでも支配されたままだろうか? 
私の場合は負の感情がなかなか持続しない。持続できない。後からきた刺激で心がどんどん上書きされていってしまうのだ。

怒りでいっぱいになった後、風が吹いて花の薫りがふわっとすればちょっと幸せな気分になり少しだけ怒りが薄れ、カフェで食べたランチのホットサンドが思いのほかおいしかったら更に少しご機嫌になり、映画を見て帰れば頭の中はもう映画の世界でいっぱいである。
もし帰り道に行きにぶつかられたことを思い出して凹んだとしても、風呂に入って熱い湯船に浸かれば、湯上がりさっぱり良い気持ちである。
その頃には嫌なことはすっかり忘れている。

本当にすっきりさっぱり忘れているので、お気楽人間でいいねと羨ましがられることもある。
いつも幸せそうにご飯食べてて悩みとかなさそうと何度言われたことだろう。
いや、そこそこたくさん凹んで悩んでいるはずなのだけれど。

感受性が高いからか、本や映像の世界にすぐのめり込める。音楽や食事、アロマでの気分転換も容易にできる。全力で没頭してしまうので、その前までの感情を維持する余地がなくなるのだ。
なんとなくだが、HSPの方が気分転換の手段を多く持てるように感じる。

生きづらいだろうか?

もちろん、人によって大きく違うだろう。
けれど、逆立ちしたってHSPでない人になってみることなどできない。
HSPによる特性を理解した上で、自分のリフレッシュ方法・自分の甘やかし方をうまく掴めれば、むしろ自分自身で早く気分を切り替えられるという強みになるのではないだろうか。

HSPだから生きづらいなどという固定観念に惑わされずに、この豊かな感受性を駆使して色鮮やかな世界を楽しんでいきたい。
私の生きづらさなんて、他人に決められないのだから。




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