見出し画像

結婚の決め手

男女雇用機会均等法施行直後の昭和の終わり頃、某製薬会社に就職した私は総務人事部に配属され、やっと会社に慣れてきた半年後、畑違いの営業推進室へ異例の人事異動が告げられる。

まだオンラインも十分に普及せず、製品の注文を受けるのはもっぱらファクシミリと電話の時代。3台の電話を二人でさばき物流部門へ指示する。命に関わる緊急性を要する薬の注文もあることから、本来はある程度経験を積んだ社員が配属されるはずだった。しかし、一緒に組むベテランの先輩が怖いと泣いて拒否。やむなく私に白羽の矢が当たったのだ。のちに皆からかわいそうと思われていたことを知るが、入社まもない二十歳の新入社員だったのに、祖母の介護で遊びを知らず若さを失っていた低い声の私は、電話の向こうで5歳以上サバ読まれていたと知った時の方がショックだった。

自社製品さえほぼ知らない状態で、伝票の書き方を覚えながら電話で注文を受け、メモを取る。そもそもメモを取れる条件というのは苺(果物)、鈴木(人の名前)と一度は見たり聞いたり、何時何分といった時間のように概念として既に知っているものであればイメージは湧くものの、初めて耳にしたり見たこともない単語はもはや外国語。これが正しいのか間違っているのか自体もあやふや。しかも病院で使われる薬名は「カタカナ」のみ。5文字超えるとサッパリ聞き取れない。「こんな製品ないよ」と先輩たちに言われては慌てて先方に聞き間違いを確認し、電話口で平謝りする時間勝負の日々が続いた。関係会社の製品も含め200種類以上の薬の名を覚えた頃、相手の声の感じ、話し方のクセなど、聞きとる力と耳も鍛えられ日常生活でも音に敏感に反応するようになっていた。

結婚相手の条件は「三高(学歴・収入・身長)」の世代だったが、私にとって耳に「メモ」された多くの声から選んだ自分好みの声が「結婚の決め手」になったのは当然のことだったのかもしれない。

リブリオエッセイの元になった本はこちら↓
前田裕二著 「メモの魔力」

エッセイ塾「ふみサロ」提出作品

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?