憂鬱は快楽

この物語はセミフィクションとして書かれています。
私の生活の本当の部分と想像の部分が混ざっています。
センシティブな内容を含みます。


不安とともに目が覚めた、というより、目覚めた直後から不安が襲ってきた。心臓がバクバク、動悸だ。胸のあたりが苦しい。これはいつものこと。
人生ってなんでこんなに苦痛なんだろ、いやちがう、自分自身が苦痛と憂鬱の根源なのだ。不安とともに目が覚めた、なら不安が私とともに寝て、起きて、生活してくれている、友達みたいな感じがするからそっちでもいいけど、事実に近い感覚としては、目覚めた直後から不安が襲ってきた、のほうがしっくりくる。友達っていったけど、時に至高で、時に現実逃避で、時に素敵な惰眠である睡眠中も不安と一緒にいるなんて考えたくないわ、やっぱり睡眠中だけは絶交。眠りが今のところ数少ないわたしの救いの一つなんだから。長くなったけど、不安と苦しさがわたしを布団から起き上がるのを邪魔してくるので、気づいたら寝そべったまま一時間以上たっていた。このままずっと寝てたって頭痛がするだけだから、諦めて起き上がる。キッチンに行って食べ物を探す。何を見ても憂鬱、この家が憂鬱、見慣れた物たち。資本主義による洗脳と、この家族の計画性のなさを象徴するかのような、汚くて物にあふれかえった部屋。引っ越すか車で生活したい。

自室の机の上に散らばっている抗不安薬のアルミシートの中から、空になっていないものを見つけ手を伸ばす。プチプチと2錠出して、ファ〇マで買ったペットボトルのルイボスティーで飲み込んだ。これが効くまでの時間が地味に苦痛なんだよな、でも薬に逃げるっていうのはそういうこと、これくらい我慢しないとね、しょうがない。何をして効くまでの時間をつぶしたか覚えていない。潰すといえば、空になって丸い部分が潰された薬のアルミシートが目に入る、机の上にだんだん増えていく。体に悪いことをしている。環境にも。製薬会社にとってはいいかもしれないけど。

目を覚まして時間を見ると、4時間半たって、もう午後2時になっていた。タイムイズマネー、薬代と時間、どちらも浪費した。

Hi.
わかってたけど。不安がこんにちはって、横にいる。
憂鬱と苦痛も。
もう薬が残り少ないし、これ以上寝れそうにない。
明日のバイト用に頓服として取っておかないと。

はやく消えたい。ふわっと消えたい。
わたしの存在をなかったことに、生まれてこなかったことにしたい。
これは私が望んだ人生、じゃない。何が望んだ人生か正確には分からないし、あこがれていたものも経験してみないと実際どう思うかわからないけど、これがわたしのしたいことじゃないのは現時点ではかなり明確。

NHKで確か1年前くらいに放送された、「ももさんと7人のパパゲーノ」というドラマの録画を見返す。初めて見た時、これはわたしの死にたいを肯定してくれる、死にたいって思って、それで生きていていいんだって思えたから、救いになるかもと思って見返すことにした。冒頭から涙が止まらなかった。ももは友達と焼き肉を食べていた、気持ちを打ち明けると、「死にたい人は焼肉たべないよ」友達が言う。ももさんが愛想笑いをするのを見て、見た。月曜日、ももは駅のホームのベンチで電車を待っていた。電車が滑り込んできたが乗らなかった。「体調悪いので、近くまで来たんですけど今日は休みます、すいません」と会社に電話した。電車は電車に特有の音を出しながら行ってしまった。わたしの保育園と小学校と中学校と高校行きたくない時の気持ちを思い出す。ももさんは非定型うつってやつっぽいなって、わたしは思った。社会人になってもこの行きたくない感情と行動は変わらないのかな。

スマホで貯金残高を確認する。67円。財布には千円札が一枚と、小銭がじゃらじゃら。出して数えると、合計で1532円。少ないとどうでもよくなる。いつもは節約したり健康にいいものを選んだりして食べるけど、もういいや、マックでグルテンと油と糖たっぷりのセットを買いに行った。「死にたい人はマック食べないよ。」明日のバイト終わりに、薬局で咳止め買おうかな、クレカで来月の私に借金して。ネットで買ってもいいけど。そのほうが安いし。でももっとましな選択がある、それを選ぶ勇気くらい、自分の力で持たなきゃ。
家に帰ってセットのドリンクで選んだカフェラテを飲んだら、おなか一杯になった。ハンバーガーもナゲットもひとくちふたくちかじっただけで、もういいや。なんて贅沢で恵まれているんだろうと思う、食べ物を残すなんて。でも食欲はない。家族にあげたら喜んで食べてくれた、よかった。
残ったカフェラテで抗不安薬2種類と抗精神病薬を流し込んだ。
早く寝ないと。わたしは何なんだろう。もうわからない。


最後まで読んでくれてありがとう。 るえな

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