ここ数年、視力がおちてきたとおもってたけどまあ加齢もあるしな、と放置していた。 あまりに日常生活でうどんを逆さのざるにあけたり、お茶をテーブルに注いだりし続けるのでソロソロヤバいかな、とも思っていた。病院への扉を開けさせたのは、先週の入学式でばっちりスーツできめたまま段差でコケたからだ。 結果は、矯正視力0.1 裸眼0.01 私は片目しかないのでこれが生きていく上での視力となる。 結構驚いた。そしてかなり家族に迷惑かけていたな、と思った。 障害者手帳はとれるけど、この等級
お給料が低いというより手取りが増えなくて、なんだか旅行も行けない我が家。 それでも楽しく暮らしているし、きっと社会が変わっていい時代が来るさ!と楽天的に生きている。 同時に、国家や社会に頼るのではなく自活できるよう、日々考えたり実験(実践という域ではない)している。それは楽しくもある。 さて今朝NVIDIAのニュースを子どもと見ていた。 一体どうしてこんなに独走状態が続くのか?という問いに、「常に新しいもの出してくるんだよね。すごいグレードアップしてるし」とのこと。「ああ、
我が家の周辺集落は最寄りの自販機まで車で30分なので、住んでいる方は大抵カセットコンロで料理をしている。 もちろんガスは通ってないしプロパンも山越えして配達していただくほどではないのでカセットコンロである。 その代わり、たいていかまどか暖炉を持っている。 我が家は暖炉だが、料理もするからもちろん夏も火をおこす。 一年中家が燻されている状態である。 で、気づいたのだが 我が家はカビが少ない。結構な降雨量の地域にも関わらずカビ臭もなく150年建っている。 勿論風通しの良さは今
性善説か性悪説か? そもそもどちらでもないでしょ、か? 考えもつかないような事をする人達はいる。ええ?と目を疑う書き込みも多々見かける。その人たちの心は、一体どういうものなのか? ずっと疑問で今も考えているが、ひとつ、納得のいく記事を読んだ。 ざっくりまとめると、脳は心が抱く感情により反応する部分が異なり発する信号が変わり、結果行動が規定されるらしい。 面白いのは、利他的であればなお自分がハッピーになれるという部分。 ああ、ヒトはやっぱり善人なのかも。と思った。 でも悪人
世界は燃えている。 Wildfireという言葉がSNSでは溢れている。その規模でたくさんの国で発火している。 火はとても不思議な存在で、全てを昇華してしまう。粉々に。 世界の山火事を見るたびに、鳥や動物たちが逃げ場もなく焼き尽くされていることに胸を締め付けられている人はたくさんいるだろう。 助けてあげられる規模ではない。日本国土レベルで燃えているのだから。 小学生の頃、近くの山が火事だから全員校舎内から出ないようにと言われた。 校庭がヘリの発着場になり、何台かのヘリコプタ
私たちは週末だけ限界集落で過ごしている。 言い方を変えれば別荘暮らしだが、築100年越えの古民家をせっせと手入れするのみの暮らしだ。 正直、20年後もここに住んでいるかと問われたら、無理な気がしてる。 平らな土地がないから移動は延々と坂を上ったり下がったり。土間と居間はかなりの段差なので上がり下がりですでに股関節がいい運動。 雑草との戦いは、週末だけの暮らしの人間に勝算はなく、虫はもう、たかられるのがデフォだ。 家の中は、とりあえず蛇には会わないかな?ムカデはいるよね。ネズ
コロナ禍が次のフェーズに移り、巷は色んな声で溢れている。 怒り 怒り 喜び 告発 期待 若干怒り強めな印象だけどどうなんだろう? コロナは茶番だ ワクチンは毒だ 政治は嘘の集まりだ 地球はフラットだ 公金は何処へ 物事はなんでも複合体だからどれも真実の可能性もあるしでも虚偽が混ざっているだろう。この世が多次元なら真実は一つではない事になる。 だから高らかに怒らないで欲しい。 怒っても糾弾しても、本気で酷い人は心を入れ替えないし、やってしまったと思う人はもうすっかり傷付
淡雪のような山桜と萌葱色に染まった山々。 久しぶりにトレッキングに出かけた。 吸い込む空気は透き通って柔らかく、野鳥の声は空高く… そこには爆音のクラブミュージックが流れていた。 谷に反響してそれはそれはサラウンド効いてる。 はじめはそんなふうに山を楽しみたい人も居るかな、と思って我慢してたけど何故か頭痛がしてきた。 いやいや、たかだか音楽じゃないか、自然に集中しよう! と全身全霊で嗅覚と視覚に全振りしてみたが、ダメだった。そもそも全くリラックスできない。 ああ、音って
http://sciencenews.co.jp/2016/02/22/post-1042/ 純ネアンデルタール人は絶滅してしまったとされる。 戦って生き残るのではなく、融合することによってDNAにネアンデルタールを残していった。 同じように、縄文人も渡来人と融合して今に残る。 私たちの魂は多種多様だけど、物理的な身体は 何万年もの時間を刻み今に残すDNAでできている。 だから滅んではいない。 耳を澄ませば古代の記憶が自分の身体から聞こえるかもしれない。 自分のものを
1月に他界した父からの最後のメッセージ。 ただ一言、「読んでおけ」と言って折り畳まれた新聞の切り抜きを渡された。 普段切り抜きなんて面倒なことをしない人だったからなんだか捨てられず、ところがすっかり読むのも忘れて引っ越し荷物に沈んでいた。 何の気なしに開けた段ボールからハラリと落ちたこの切り抜きは、父からの最後のメッセージだと思った。 記事の内容の理解は個々によって違うと思う。だからこれは私個人の解釈になってしまうが、私はこの記事で、初めて「赦し」を理解した。
88歳。大往生だ。 夜明け前に自室のベッドで、眠ったまま静かに旅立った。 生前彼と、自分の死後についてよく話し合っていた。 誰の迷惑にもなりたくない 介護はされたくない 自室で眠るように死にたい 棺桶には孫達の絵を入れて欲しい 孫達には死んだ時から骨になるまでをしっかり見せて欲しい それが自分ができる最後の仕事だから そして兄弟親戚と仲良く暮らして欲しい 彼は全てを叶えた。 遺体に死装束をみんなで笑いながら着けた。 遠方の親戚たちから父の若い頃の話をたくさん聞き、泣き笑い
面白い記事を読んだ。↓ 内容は表題そのままだ。要は太古の昔に氷に閉じ込められた太古のDNAが、あったかくなって溶けて出てきてるよって話。 これを読んだ時、飛騨の口碑を思い出した。 飛騨の口碑は、飛騨の言い伝えを本にしたものだけど、世も世なら不敬罪クラス。竹内文書系である。 ただ言えるのは、この口碑に伝わる幾つかは、私も小さい頃聞いていたということ。美濃でも伝わっていたと言う事になる。 それと、口碑を裏付ける地名、行事がそこかしこに残りなおかつ全国の風土記も裏付ける文書が多々