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オレンジ色の帽子

プロローグ ~
 20年前に母と行った事がある古寺を訪ねた。
 前に行った時は、自動車を運転し出掛けたが、その日は訳があって路線バスに乗って出掛けた。
 最寄りのバス停を降りると、記憶を頼りに道を歩き始めた。バス停の周囲は道路工事をしていて見通しが効かず、寺とは反対方向に歩き続けていた。行けども行けども寺の入口に辿り着くことは出来ず、仕方なくスマホを取り出して確認すると、寺の入口は工事現場の裏手に隠れていた事が分かり、歩いてバス停まで戻ると30分以上経っていた。
 その日は暑い日で、体はすっかり汗ばんで、喉もからからになった。
 寺の入口は参拝者の宿屋の面影を残す風景で、懐かしく、趣深かったが、工事で道を広げ新興住宅地ともなっていて、建築中のモダンな民家などがちらほら混ざっていた。
 此処はもう少し時間が経つと、ますます分かりにくい場所になってしまうな、と感じた。
 入口から寺までは、車を置いて1キロ弱の参道で、そこを母と歩いた時を思い出しながら、坂道を上る。何を話したか、全く覚えていない。母は嬉しそうでも楽しそうでもなかった。私は、日常から離れた小旅行気分で少し得意であったのだが。
 参道の終わりの石垣の隙間から、季節外れの紫陽花が伸びていて、枯れたままの花が幾つも垂れ下がって居るのを見たら、何だか泣きたい気持ちになった。母のクールな様子に少し落胆しつつ歩いた、あの時の気分を思い出したのか、それともあの時にもこの枯れた紫陽花の花を見た変わらない記憶が蘇ったのかもしれない。
 寺の門を抜けると、東屋と小さなベンチがあったので、そこで一息、持っていたお茶を飲み、汗を拭う。参道は思いのほか坂がきつく、長くて、山中の雰囲気が強く、あの時の母はもっと都会的な場所へ行きたかったのだろうな、と考える。実家の田舎は何もない山の中であるからだ。
 一応参拝をして、世界平和と人類の健康を祈る。
 それから寺の周囲を一回りして、裏山に上がって行く土の道を行く。
 きれいに掃除されていて、草の一本も生えていない。ちょっと靴を滑らせながら、登って行く。
 裏山に入ると、道は山道っぽい様相を呈して来た。雑木林の、根っこが張った、土の道。張り出した根を避けたり踏んだりしながら、少しきつめの登山である。山道とは言え、草も無く、乾いた地面に箒の刷毛目がうっすらと見える。そしてこの刷毛目は、山のかなり上の方までずっと続いていた。
 寺の方が登山道を毎日掃き清めていらっしゃるのだろうか。
 道端に、きれいな蕗の花がちらほら咲いているようになった中腹、山深くなり、地面は少し湿り気のある黒い土になって、徐々に登りも急登になった。木漏れ日に輝く草花の緑が綺麗。
 山頂には如何にもな大きな石のモニュメントがあり、少し興醒めであったが、憩いの場所にもなって居るようだった。
 そこを越えると、今度は海。
 青い海が見えた。
 陽当たりの良い海側の斜面は植生も少し異なり、白くて小さな草花が咲いている。樹木の葉も日焼けで赤っぽい色をしている。高い空に、鳶がすうっと飛んで行った。きつい登りのおかげで、母との何故かぎこちない思い出はすっかりどこかへ消えた。海側の浜辺へ降りると砂浜を歩いて海を堪能し、最寄りの駅から郊外電車に乗って家路についた。

 母の法事があると言うのに、姉は好きなアーティストさんのコンサートライブのために私の家に来ることになったので、どうするのだろう、と思い、ちょっと戸惑っていた。しかもゴールデンウィークなので、宿がとれず、真夜中に運転して帰ると言う。自営業なので、午前中は仕事をしてから来ると言うし、疲れが出ると帰り道が心配だから、うちに泊まって、と頼んだ。私は仕事の休みを取り、チケットも取ってもらい、同行して案内することにした。どうやら姉の夫と私の夫とに遠慮しているらしい事が分かった。コンサートが近づくと、法事は命日よりも大分前もって執り行い、コンサートの日には影響が無いと分かった。
 若い頃私はコンサートというものに行った事が無かった。
 友人に「生で聞く音楽の良さを知った方が良いよ!」とお勧めされて、一度仕事の帰りに立ち寄ってみた事があった。
 仕事の着替え等を詰め込んでパンパンになったデイバッグを背負って、子供に借りたちょっとお洒落なTシャツに着替えてコンサート会場に行った。コンサートは始まっていて、30分ほど過ぎていたので、ロビーには人気が無く、会場スタッフの方だけが居た。
 きれいな女性スタッフの方が厳しい顔で、
「その大きなお荷物の中身はなんですか?」
と尋ねた。カメラや録音機材を持って入る人をチェックせねばならぬらしい。私は明らかに怪しげに、しどろもどろになって、
「あの、これは、開けてもいいんですけど、ちょっと、大変な事に・・・」
 着替えがパンパンに詰め込んであるためだ。
 私は荷物を開ける事なく会場内に入れて貰えた。
 コンサートは思ったよりずっときらびやかで眩しく、生で見るアーティストの方はこの世の人とは思えない程素敵だった。音楽はギターが大音量で迫力があり、それがずっと最後まで続いた。私はなんとなく気恥ずかしくて隣の人に合わせてようやっと立って腕を振り続けたり、決まった行為をするように気を付けて過ごした。その人の曲で大好きなものは、最初の方に演奏が終わっていたらしく、余り知っている曲は演奏されなかった。
 そして、2回目のコンサート体験である。
 今度も子供のTシャツを借りて、(子供は学生の頃バンド活動をしていたのでちょっと変わったTシャツを色々持っているのである。)服装きめきめで、普段着の姉に子供のかっこいいサコッシュを持つように提案したりした。姉は「荷物になるから要らない」と応じなかった。
 今度はきちんとチケットを前売りで買って、真ん中の席で、しかも姉と一緒という気の置けない状況の中で私は弾けまくった。
「僕たちのコンサートに、初めて来た人~?」
「はい、はいはい、はーい!!」
 私は手を振って大声で叫んだ。前の席の女性が苦笑しつつ振り向いた。知っている曲があると、大声で歌った。マスクは不織布のものを、2枚重ねている。知っている曲は一曲くらいしか無かった。ギターの響きに合わせて頚髄を傷めるるくらいに頸と腕を振りまくり、場末のクラブくらい体を振って踊った。
 楽しんだと言うか、やけくそっぽかった。いや、間違いなく楽しんだ。
 ゴールデンウィークの夜の、混み込みの温泉センターでお風呂に入り、家に戻ると買って置いたお惣菜で遅い夕食を摂り、その日はぐっすり寝た。翌朝早くに姉は昼間に買っていた義兄のお土産のパンを携えて帰って行った。

 父が仕事中に急病で亡くなり、4年後に母も亡くなった。父が若くしてお嫁さんを貰い、まだ学生であった叔父は母に弁当を作ってもらい学校に通ったらしい。その叔父も年老いて、この頃私たち兄弟にわがままを言うようになった。寂しさを感じているだろう叔父の気持ちを思うと、私たち兄弟も別に嫌ではなく、愚痴をきいてあげる事くらいは出来る。体も弱って来ているようだし、今までほとんど接点を持たずに来たけれど。
 母の棺に、家族が庭の草花や野菜の花などを入れてあげるよう、納棺師の方に言われて、叔父が庭から取って来た花は、深紅のアマリリスの花だった。私が余程小さい頃から、ずっと庭にある、アマリリス。
「これも入れて良いかな。」
「勿論です。」
 御棺に入れるから、白っぽい儚い花にしか気持ちが行かなかったけれど、唯一母の若かりし頃を知っている叔父にはこの大輪のアマリリスもありと、思えたのかな、といらぬ事を思った。


 電話で叔父の愚痴を言う、姉の話を聞いていたので、母の事を思い出す夢を見た。
 バスに乗って、母と姉と、私の子供と、居て居心地良い家族だけが揃っての家族旅行をしていた。母はオレンジ色の派手めな帽子を被り、お洒落な服装をし、私の前の席に背筋を伸ばして座っていた。
 おしゃべりが好きな母が、何かをずっと話していて、私はそれをじっと聞いていた。私と姉が少し大げさに反論をかまして話の腰を折るのを
「そうか、そうかねえ。そうかもしれないけどねえ。」
などと、何処かのんきな様子で返し、また話を続けるのを黙って聞きながら、母はこんなに近くに居て、いつもの変わらない母なのに、どうして法事とか供物とか御香料とか訳の分からない事を考えなきゃいけないんだ、と私はすごく理不尽だと思った。夢の中で、バスの前の席に座る母に寄り添って私は、そんなにも母の存在を近くに感じていた。バスは行き先へ着いて、私は先へ降り立った。
 あの寺に行くはずだった。しかし、行き先が分からなかった。街中で、私は行き先を見失っていた。途方に暮れて振り返ると母は、さっきとはまた違う白くて美しい模様の入ったブラウスを着て、すくっと立ち、遠くを見ていた。

 その姿はちょうど、あの時、20年前にあの寺へ、一緒に行った時の齢の母に思えた。
 古寺を再訪し、母に会わせて欲しいと念じていた私に、寺が見せてくれた夢なのだろうか。
 

 

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