讃美歌

 激しく傷つきながら、あるいは自分を傷つけながら、どこに出口があるのかと叫び続ける。しかしながら光はなく、よって闇もなく、あたりはただぼんやりとしたで覆われている。
 私は傷について哲学を持っている、────傷に対して「何故なのか」と聞いてはならない。理由などないのだから。あったところで笑うしかあるまい。

 そしてある日、私は発見したのだ。傷ついた後に、無感覚になれる瞬間が数秒間だけあることに。
 それは一種の救済なんじゃなかろうかと私には思われた。痛みを払えば無感覚が返ってくる。ならば、もし痛みの中にあり続けることができたなら、無感覚を手にし続けることも、出来るのではないか。流血沙汰にも一つの手打ちがなされるのではないか。

 無感覚がありさえすれば、私は何者にでもなれると信じていた。

 その日から努力は始まった。故意に傷つけること、しかしながら、より裏切りに近い形で自分を傷つけること、それこそが私の無感覚へのメソッドだった。

 暴力に蹂躙されながら私は暴力を愛そうと努めていた。

 血が頭の横を駆け降りてくる…………。私はそれをふとして手に取っては舌に垂れる。そうすることで、何かの保証がなされる気がしていた。何の? ────それはわからないのだが。

 私にとって否定こそが人生だった。「そうではない」と。なんとも無感覚に満ちた言葉ではなかろうか!

 裏切りに裏切りが重なり、私は崩壊の寸前まで行ったが、それでも私は裏切りを愛そうと考えていた。この世界は残酷だという台詞はもはや御伽話から引用したみたいだった。流血が私を愛していた。絶望が私を愛していた。狂気が私を愛していた。それらすべてを、私は愛していた。これ以上に説明することは難しい。

 お前の笑い声は空虚だと誰かが言った。私はその通りだと笑いながら言った。そしてその話は沙汰止みになった。

 頭の中から何かが湧出しているのを感じている。それは悪なのか、それとも善なのか、或いはそれ以外の何者かなのか。私は暗い暗い昼の底にあって、何かが来るのをただ漫然として待っていた。

 その時は来ないのだ。私はそのことを理解した時に、なんと軽々しく笑うことができただろうか!何もないということ!ああ、そんなことがあるわけがない!

 そして刑吏は斬首するべく刀を私の頭上へと振り上げる。私はその全てを覚えていようと出来るだけ目を上に向けていた。スローモーションで刃が迫ってきた。一コマ一コマに何か捉えきれない意味があるような気がした。そしてそのすべては私の手をすり抜けていくのだ。私はその流れ出る感覚をずっと感じ続けていた。そして遂に、刃が私を切りつけていくのだった。

 今私には頭がなく、あるのは首から下だけだ。

 だが、笑うことは、できるのだ。

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