砂漠と独語

 言葉はいつも遠かった。と、書くことさえも私には嘘のような気がしてならなかった。まるで生まれたての灰燼のように言葉は指先と触れ合うたび崩れていった。そうして私の手のなかには、いつも細かな砂塵だけが残っていた。

 未完成の呪い。どうして人は完成などという大それたことが出来るのだろうと私は訝っている。恒久的な完成などというものは存在しない。完成とは彼岸にある行為だ。そして此岸で行える完成はいつも彼岸の完成を指示している。

 孤独というのは恐らくこのような触れたもの全てを崩壊させてしまう人間のことを指すのだろう。だから私は語るもの全てが嘘になる語り部のことを考えなければならない。かれは語るとともに語ろうとする内容を倒壊させるのだ。それゆえにかれは語ることをやめることでしか指示内容を保護することができない。かれは沈黙の中で煩悶する。そして、いつしかかれは禁を破っては語り始めるだろう。底の抜けた杓子でおのれを汲み尽くさんと欲しながら…………
 私の絶望的な言語努力はこうして確固たる絶望を求め彷徨い始める。いったい何を喋ろうとしているのかと他者は問う。私は自分が語れないということを何度も力説する。すると他者は分かったような分からなかったような顔をして言う。でもちゃんと語っているじゃないか。私は言う。違う(この「違う」も違うのではないか)。そうじゃない(だが「そうじゃない」のは一体何を指してのことなのだろうか)。私は何も語れてはいない(しかし他者はちゃんと語れていると判を押しているではないか)、まだ十分には(十分に語れるなどということが果たしてあり得るのかどうか私には分からない)。他者は言う。あんたは些か自己不信に陥ってるようだな。それか失語症かもな。私は諦め気味に諧謔を言ってみる。分からない。分からないことだけは分かるのだがね(そうして分からないことも分からなくなっていく)。

 「暫定的」という橋を渡る。だがそれは砂漠に建てられた高度ゼロの橋で、渡り切ったところで何かが変わるわけではない。私にとっては砂漠だけがリアルなのだ。

 いったい何をしたら、そう言って私は口を噤む。いったい何をしたら、何がどうなるというのか。そんなものは空約束にすぎないのではないだろうか。どうしてそんなことを言ってしまったのだろうか。
 まさかこれほどまでに遠いとは、私自身思ってもなかった。

 この茫漠とした宇宙の中で私がどこにいるのか。それだけが問題だ。だがこの宇宙の中で私が見つかるとは到底思えない。私そのものが宇宙だからかもしれない(だとすれば私は自分を永遠に把握し損ねることになるだろう)。

 私は何者でもない。そして私は何者かだ。

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