I am tired.

 noteを開始して一ヶ月半経ったが、疲れ果ててしまった。今じゃ、本を読むだけでもnoteの薄い空気を吸わされている気分になる。

 これは一個人の考えとして留めておいてほしいのだが、どうしても、どの記事も自己顕示欲を卑屈に隠しているように思えてしまう。「面白いから書いた」「素晴らしいから書いた」「楽しいから書いた」、そう言いつつも「読んでほしいから書いた」という意識が見え隠れしてしまう。その度に思うのだ。あんたら、機械論的お食事会じゃないか…………、吐き気がする。

 私は、氏の文章が好きだ。安心感がある。氏は決して妥協しないだろうという安心が。

 私は狂人になりつつある。自己否定が自己肯定となり、人格が悶絶している。だが、気をつけろ、恥知らずの冷笑家になれば終わりだ────、
 鏡の中の貴様よ、美しき不条理となれ。

 私は詩人などではなく、詩、そのものになりたかった。

 君は砕け散る文章をかき集めたことはあるか。徒労に終わる労働を今もなお覚えているというのか。

 知ってたかね。日本人ってやつは、誰よりも憎悪を忘れやすいらしい。それと、その大体が嘘つき野郎だってよ────

 命令。清潔な場所を求めろ。

 バタイユ────戦いbataille。生まれたときから、その運命を負った男。

 ニイチェ────人間の腐敗臭ressentimentに誰よりも敏感であったがゆえに、誰よりも清潔たらんとした男。

 ランボオ────流れ行く場所としての詩を創造し、あらゆる詩作を死へと追いやった異端児。

 ドストエフスキー────どこまでも矛盾の中に生き続けた聖なる愚者holy goof

 アルトー────卓抜した千里眼によって暗黒領域と現実を接続した老練の賢者。

 読書感想文などと甘えたことは言うな。てめえで手に取れっつうんだよ!

 以上だ。暫く姿を消す。

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