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生き残ったのは俺たちだけだ

Conversation with noises

 おまえはノイズまみれの電話に耳を澄ませながら、「生き残ったのは俺たちだけだ」と言う。周りの奴らは全員死んだ。俺たちだけが生き残った。俺たちは最後の生き残りサバイバーズだ。
 電話先の男はそれを聞いている。手には美味くもないタバコの紫煙が立ち上っている。かれは静かに吟味するなり、じゃあこれからどうすればいい、と、呟くように言った。
 ノイズから応答を受け取ったおまえは、髪の毛を混ぜ回す。
 どうもこうもないさ、俺たちは────

 かち、かち、とおまえの上で時計の針が鳴り響く。おまえは阿呆のようにその秒針を眺めては、面を下げると、放心したように言葉を発する。

 ────美しく犬死にするだけなんだ。

This is the end

 俺たちはカフェでコーヒー一杯で七時間居座るなり、店主から注文しろと怒られる。しかし俺たちは、厳かなパーティを開いていただけだった。みんなこれ以上無いほどに無邪気だったのだ。俺たちは18歳になっていた。
 これが笑わずにいられるか。
 「なあ、」と友人が言う。その指はペンが挟まり、白紙の原稿用紙がテーブルに控えている。「そろそろなんか考えるべきじゃないのか?」
 俺は嘆息した。「なんかとは、なんだ?」
 友人は皮肉に口端を吊り上げて、「それを考えるべきなのさ」と言った。
 俺は他の二人を見た。どいつも所在なさげにスマホを眺めてるか、寝ている。
 「将来とか?」
 「将来ねえ」と友人は顎を指にのせる。「不確定要素が多過ぎて話にならんな」
 「夢」
 「青すぎる」
 「健康」
 「ジジイか?」
 「芸術」
 「なぜ?」
 「文学」
 「おまえ、真面目に言ってんのか?」
 すると横にいた少女が言う。「自分」
 「自己分析だと?」と友人は言う。「ほう、なかなか…………悪くない」
 「可能な領域のすべてを汲み尽くせ」と抑揚もなく少女。「まずは可能領域の観測。それから分析、帰納、演繹、その繰り返し」
 「やれやれ」と友人はペンを投げ出す。「またお得意の数学だ…………、建築的すぎる。面白くない」
 「面白くないのが人生」と、これは突っ伏した友人。「面白くするのも人生」
 「愉快さね」と俺は言う。
 「今この瞬間が、暇、なの、さ」と友人は茹だるような倦怠感の中で言い放つ。「まったく……。どうして18歳になんかなっちまったんだ?」
 「生はぼくらを追い越す」と声は突っ伏したまま続く。「知能ばかり先行して、ぼくたちは取り残されている。にっくき教育のせい…………」
 「政治か?」
 「違うね、現実の……、リアル…………」
 「やれやれ」と友人も本格的にうんざりしたように溜息をつく。「やりきれんな」
 それでもう誰も声を出さなかった。もう嫌というほど分かっていたからだ。このまま進展も退化も、することはあるまい。
 そして予想していた通り、俺たちの会話は、これで沙汰止みになる。
 上を見れば、頭上のファンだけがいたずらに回り続けている…………

In flame

 俺は公園に出ると、すぐさまその機関誌に火をつけた。こんなクソ雑誌は燃えちまえばいいからだ。
 “自称進学校”の文芸部の夏季特別号。
 控え目に言ってゴミだ。みんな「マジ」じゃない。どこにも緊張がない。文章にハリがなさすぎるのだ。
 まるで粘菌だと思った。文脈に沿って動いていくだけの文章。それで大したカタルシスもなければ、いつの間にかゴールだ。書き始めと書き終わりで違うものといえばページ数だけ。迷路を進む粘菌だ。
 或いは、もっと酷いものもある。自分の文章の陥穽にさえ気づかず、その失敗にはまりこんでは茶を濁して逃げこんだ奴ら。例えば、たった10ページだけしかないのに殺人事件を解決する話。メモ書き程度の文章。一方的な推理。答え。採点。終了。共通テストパスティーシュ。
 だが、俺の書いた文章も同類なのだ。一万文字書いたらいきなり「五千に詰めろ」…………
 「どうして?」俺は言った。
 「先生が言ってたから」と部長は言う。「仕方ない」
 殴ろうかと思った。
 仕方なく俺は半分まで切り詰めた。全ては完璧だと思えるほど清書した。それを載せた。そうするしかなかったからだ。
 だが、読んでみるとどうだ。全ては都合的に流れているとしか見えなかった。どれほど読んでも、どこかに恣意的なところが見え隠れした。
 良いところを探そうと思った時にはもう、読み終わっていた。
 ────「妥協しろ」だと?
 くたばれ。くたばれくたばれ、くたばっちまえ。
 文学というのは完璧な世界だ。それは病的なまでに自己完結した大聖堂カテドラルであって、語ろうとすれば口を黙すしかない世界を語りうるただ一つの手段なのだ。妥協すればなるほど気持ち良いだろう、だが塗り潰されたステンドグラスに神は宿らない。あるのは瀆聖の跡だけなのだ。
 すべては手遅れだった。俺もまた凡夫に堕したのだ。
 俺はしばらく、苛々としながら燃える雑誌を眺めていた。全ては黒々と燃えていった。まるでそうあるべきかのようだった。燃えることだけが正しいのだ。このクソ雑誌は────────
 すると突然、雨が降り出した。
 俺は夏の夜雨に降られながら、その文芸誌が濡れていくのを見ていた…………
 火は二度と灯らなかった。

Punch drunk

 俺は顔から突き飛ばされ、クソとゲロの臭いがする路上に倒れる。呼吸が止まる。相手は馬乗りになった。俺は咄嗟に顔面を守る。腹に一発。俺は漏らしそうになる。それから明日の食事を考える。ハンバーグ?突如相手の拳がアスファルトを突く。チャンスだ。俺は喉元に朦朧としながら拳を叩きこんだ。バランスが崩れた。突き飛ばす────窒息が外れる。神が見える。全てのリズムが聞こえる。
 倒れ込んだ相手は牽制の為に脚を上げた。俺は脚を掴むと捻り上げた。たちまちもう一つ脚が飛んでくる。俺は腹を蹴り飛ばされる。ゲロが一筋出た。脚を手放す。すると相手はすぐに立ち上がる。
 ネオンが揺れる…………、黒い陽炎が見える。周りは傍観する。警察は来ない。俺は立ち上がった相手の目を見る。俺と同じ真空だ。俺たちは何もかもが分かり合える気がした。だが殴り合う。それがさだめなのだ。
 路上の神話。
 拳。俺は避ける。拳。また避ける。肉が理想に追随する。俺は下あごを狙って突き上げる。失敗。腕を捕まれる。逃げろ。だが相手は狙い澄まして捻じり上げる。激痛と激痛。俺は笑う────何かが外れる。肩と正気。逸脱。暗闇。全てが転げ回る。狂犬が血中を駆け巡る。殺意と支配。俺は何度も脇腹を掌底で突く。外れる。だが無意味だ。俺は片腕で蹴りを防ぐと、そのまま顔面に頭突きを入れる。そしてもう一度。うまくいく。だが間違えて脱臼した腕で殴ろうとする。意味の無い回転。クソ!俺はもう一度頭突きを入れようとしたが逆に頭突き返される。空白の中で思いつく。俺は体ごと半回転させると相手の脇を突く。防御が緩まる。素晴らしい。俺はそのまま、相手の手首に歯を突き立ててやった。硬い骨を噛む。塩と鉄の味。すると何度も拳が飛んでくる。だが俺は咬む。噛みちぎってやる。俺は狂犬。いつしか歯が二三本揺れる。俺はビビって口を放す。上を見る。笑った目が俺を睥睨している。肘鉄が頭蓋に叩きつけられる。
 俺は今度こそ倒れた。
 何度も蹴りが体を突き抜けた。どこもかしこも踏まれていった。どこかで何かが決定的に凹んだ。俺はまさかと思うと、笑い声をあげてしまう。もちろん、生きているのがバレてしまう。だが愉快だった。どうしようもなく愉快だったのだ。楽しすぎて困る。だが一体、何が?俺はつぶやく。
 「生きることが」
 俺は踏み潰そうとする足裏から寸前で脱却する。バチン!踏み潰される空気。その真空を見て、俺は全てが止まるのを感じる。俺は死んではいない。まだ生きている。俺は今ここにいる。なんてことだ、俺は思う、
 この世界は、あまりにも美しいではないか。
 俺は立ち上がる。歯を二三本勝手に抜き取ると拳に収めた。口の中がせいせいする。相手は俺を見て間合いを取る。
 まあ見てるがいい。
 お前の最後を。
 俺は間合いを詰めた。相手は朦朧としていたのか、対応が遅れてしまった。
 それが命取りだった。
 俺はさっき抜いた歯を投げつけてやった。
 油断していた相手は咄嗟に防御態勢をとった。すると腹部が空いた。
 全てが完成するのが分かった。
 俺は身体を低く潜り込ませ、片足を大きく踏み込んだ────それから捻じれた上半身を回転させた。まるでゼンマイを巻くように、体が深く強く回っていく。そして、今だという瞬間に、俺は、重々しい拳を解き放ってやった。俺の狂犬のようなパンチが、やつのはらわたに飛び込んでいくのが分かった。
 全ては一瞬のうちに終わっていた。
 ────顔を上げると、相手は宙を舞っていた。
 相手は頭をアスファルトに打ちつけると、そのままころころと転がっていった。まるでペットボトルのようだった。驚くほど生気がなかった。
 全てが静まり返っていた。
 すげえ、と声がする。
 そのまま、世界は絶叫の渦に包まれた。
 俺は息を吐いた。全ては終わったのだ。
 すると、視界に真っ黒なノイズが飽和していった。
 俺はたちまち膝を屈する。
 体はとうに限界を超えていた。息が段々と細くなり、遠くなっていく。
 朦朧とするなか、最後に地面が見えた。
 そして────、暗闇。

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