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青空と断想

 事象には表面張力というものがある。
 私たちは奇妙な連続性の中でそのことを忘れてしまうが、物体には万有引力があり、我々は引力と引力との均衡の中で絶えず引き裂かれているのだ。それは重力によって地球に磔にされたおのれを鑑みれば容易に分かる。あの遠くにある恒星も、観測不能なほど僅少な共犯関係を我々と結んでいるのだ。
 その引力によって、世界は展開していく。それはAとの出会いであり、また同時にAとの惜別である。そこに言語を絶する深い不可逆の峡谷があるのは言うまでもない。我々が見知らぬ他者に「あなたは、一体何者ですか」という時、その表面張力は破れることとなろう。「知ること」は不可逆なのだ。知っているこの状態から、知らなかったかつての状態に戻ることは不可能だ。事象の表面張力は既に破けている。不可逆は既に侵されている。私が「あなたは誰なのか」と声に出したときにはもう手遅れだ。二つの物体は互いを引き寄せ合いながら、最後の均衡点を通過するだろう。私はあなたを知る。あなたは私を知る。そして侵犯した現実の為に私たちは共犯となる。

 我々は知らないことを知ることができない。三歳の子供は形式的証明とは何かを知らず、サド侯爵が迎えた悲劇的な最期も全く知らない。当然だろう、知らないのだから。我々は知らないことを知ることができない。ただ、想像力を働かせることしか許されない。
 例えばこうだ、今空中を回転しながら墜落しているコインの裏表について、私は両方の事象を想像することができる。一方は実在する未来、もう一方はありえたかもしれない未来・・・・・・・・・・・・だ。私たちはどちらか一方を体験することはできない。ただ、想像することはできる。1/2から1/4へ。1/4から1/16へ。1/16から1/17666216へ。我々はこの運命的に小さい蓋然性の中を生きている。コインの裏表が予告する、この現実という名の狭隘な世界の中を。
 その表裏とは「奇跡」なのかもしれない…………。或いは救いがたい「悲劇」なのかもしれない。
 ただ私に分かることといえば、現実とは現実であるということだけなのだ。

 表表裏表裏裏裏裏表裏裏表表表表表表裏表表裏裏表裏裏裏表表裏表裏表
 これが出る確率は、たったの1/4294967296だという。
 私はこの確率を恐れているのだ…………、ちょうど「死」そのものに対して不可逆の恐怖を感じているように。死んだ者は二度と生き返らず、二度と息を吹き返すこともない。
 私はコインを一擲するだけで、1/2の世界を虐殺する。だとすれば、コインの投擲とは、なんとも奢侈的な狂躁オルギアではなかろうか?

 ならば、私はこう言うとしよう…………、人間は蓋然性がゼロになる瞬間を探さなければならない、と。それは低次唯物論者にのみ許された決定的瞬間ゼロ・アワーなのだ。その黒々とした消失点を突破するとき、我々は神聖となる。我々は存在せず、かつ存在するからだ。我々とは閃光なのだ。しかし文明には便宜上「自意識」が必要だった。それだけのことだ。

 人間は恐ろしいほど打算的だ。不可逆に対して緊張し、取り返しのつかない真似をしないように手を凝らす。すると不可逆とは、精神の禁忌タブーなのだ…………、我々はその表面張力を崩さないように迂回路を辿る。しかし、その表面張力に身を投じない限り不可逆の栄光は得られないのだ。狂人と聖人だけが、失えるものの無い人々だけが、約束された人々だけが、その栄光へと己が身を投じ、猛烈に燃えながら、その神々しさを発露しながら、恍惚の中へ、光の中へ、死の方へと、烈しく焼尽していくのだった…………

 私は空に手を伸ばす。
 私はずっと、あの天蓋を越えていきたいと、青空の彼方へ行きたいと、途方もなく、そう願い、祈り続けていた。

 どうして私は天使ではないのだろうか。その声は都市の喧騒にかき消され、次の瞬間にはノイズとなって消えていく。いつしか信号は赤へと変わり、路上を見てみれば、声の主はもうすでにいなくなっている。瀝青には陽炎が立ち上り、周りは乱反射する陽光で混乱している。
 信号待ちをしている青年は、路上を何気なく見つめては、ふと口吻に漏らす。
 おかしいな。

 今あそこに、黒いパーカーの天使が一人いたはずなのだが……………………

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