讃美歌

 ああ、裏切りが私を傷つけていく。何もかもが私の脳髄を掴んでは揺さぶって破壊しようと企てを働く。なぜ私はこんな目に遭わねばならない、そう言いかけて、私は口を閉じる。英雄的ではないことが、どこまでも俗的であることが、私にとっては甚だしく恐ろしいのだった。それは或る意味で最後の抵抗だったのだろう。非連続に際した人間にあって、私の名前は長らく遺り続けるだろうという確信ほど、連続に対する希望はありえまい。

 貴方はいつか死ぬんですよ。
 ええ、そうでしょうね。
 例えばこんなふうに。

 ああ、誰が狂気などというものを決定したというのか。
 私だ。「私」は壊れることをずっと恐れていた。今も、昔も、正気でありたいとずっと思っていた。
 正気でなくなったらどうなるというのだ?
 ────「貴様」になる。

 夜が来る。存在と非存在のないまぜになった夜、誰かが居ないのに誰かが俺を呼んでいる夜、壊れかけた俺が啜り泣きを繰り広げる夜が。

 お前は何者でもないのだ。
 いいや、違う。
 じゃあ何者なんだね…………

 一体なぜ私はこんなことを考えているのだ?なぜこんなことになった?なぜこんな世界に生まれ落ちたのだ?なぜ私は不幸ばかり脳内に炸裂するというのか?

 痛みだけが、私に饒舌という自己戴冠式を許してくれる。

 何もないくせに何かあるようなツラしてんじゃねえよ。貴様は結局のところ誰でもないじゃないか。一体誰が貴様を保証してくれる?一体何が貴様を定義してくれる?何もだ。何もありはしない。貴様は無だ。無は貴様だ。

 涙を流しながら、その涙が嘘臭く思える。こんなとき、私は苦悩するのだ。私は大いに笑うべきなのではないか、と。

 破壊することには何の意味もない。お友達が増えるだけだ。だがお友達には心がないから意味がない。

 私から遠ざかりつつある正常、ああ、正常、私はその正常を求めていたはずなのに、その正常はどこにも存在しない。薬の中にもない、行動の中にもない、理論の中にもない、私の中にも当然ない、であれば、正常は一体どこにあるというのか?

 助けてくれなどと言える身分か、戦え。戦って、勝敗さえも殺戮してしまえ。

 私の世界を覗かないでくれ…………、貴様は私ではないというのに、どうして我が物顔で私について語るんだ。同情なんてものはとうに貰い飽きた。そんなものはアンガージュマンの褒美みたいなもんだ。ただ、苦悩している人間だけが私の世界に触れず、それゆえに触れ続けることができる。

 打算的なものを全て失った私に、もはや恐怖も感動もあるわけがないだろう?

 私は書いている。運動しているのと同じように書いている。呼吸するのと同じように書いている。これほどまでに正しい書き方がなされたことは、私の人生でもかつてないほどだった。

 ゼロからゼロへと跳躍し、そしてゼロへと戻っていく。全てのサイコロの目は擦り消されている。無。無。無。無。無。無。もはや感動さえもない。あるわけがない。

 運動が、私を正しく狂気へと導いてくれる。

 もう終わりだ。笑いながら私は消えていく。 

 さようなら。
 さようなら。

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