人生の著者ということ 4-3

雨が降ったりやんだりの4月3日でした。みなさんどうお過ごしでしょうか。

きょうはわたしは学科ごとのオリエンテーションがありまして、みんなキラキラしていて気後れをついついしてしまう、そんな一日でした。

日本史を専攻するような学科なのですが、担当の教授の方々も癖があって、卒業論文が他の学部よりも難しいから覚悟しなさい、というお言葉をいただき戦々恐々としております。

さて、察している人もいるでしょうけど、わたしはいわゆる陰キャです。上手く話せないし、顔も特別可愛い訳でも無く、面白い訳でもない。それに比べて、大学はそういう一般的に要求されるレベルをクリアしている、いい意味で普通の人が多くいました。

普通じゃない自分が嫌でした。個性が強いとかそういう話ではなく、もっと悲惨な、ダメな人間から抜け出したかったんです。言い換えるなら、赤点やゼロ点からなんとか平均点まで持っていきたいんです。

みんなみんな上手くできることが私には出来ない。上手く話せない。家に帰って沢山反省して、ノートに書出してまた実行する。

失敗、失敗失敗、失敗。

全てが嫌になって、努力不足だと思って、早く死にたくなってしまうけど、誰にもいえなくて。

明日なんか来なければいいのにと毎日強く願いながら朝を迎えるのです。

結末が書かれた本のようなものです。人生は生まれてから死ぬまで、始まりと終わりは決まっています。その間を、1日1ページ埋めていきます。何ページになりますかね、できるのなら明日が最後のページに…と思います。

死にたいですが、死ねません。母親や家族を泣かせられません。沢山迷惑をかけました。大学受験は失敗して、たかい授業料を払ってもらい、多くの時間と手間とお金をかけて私を育ててくれました。それに見合った価値が私にはたしてあるのでしょうか。

ありません。価値などありません。しかし、こんなこと誰にも言えません。この発言で私の価値はさらに落ちてしまいます

縋るものは死のみですが、それでも頑張っていきます。ハンデもおおいけど、自分のことはいつだって自分が1番嫌っているけれども、お母さんたちのために明日も頑張ります。

今日も駄文です。ごめんなさい…

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