こころにうつりゆくよしなしごとを

自分以外は他人である。
家族ですらも他人なんだと。
家族の意見=私の意見でもない。

そう、他人のことはテレビを見るかのように見つめること。
「テレビだから」ああいうことができるのだと。
そこに自分を卑下する気持ちは入れずに。

そうできたらいいんだけどねー

自分から見える他人のいいところは、他人にとっての一部分でしかない。
ここでの一部は全部ではない。

知った気になって、簡単に関係性を手放すのはもったいない。
それは人だけではなく、物事においてもそうだ。

趣味においても、飽きてしまってやらなくなっている。
でもまた戻ってこられる。

それへの興味がなくなってきたときに追おうとせず、そこから一旦離れる。

人間関係においてもそれを大切にしたいと。

人間、親しくなってくると礼が疎かになってしまうから、

「親しき仲にも礼儀あり」を続けたい。

ものすごく恥ずかしい話だが、私は言葉の文法が違っている人を見ると心の中で馬鹿にしてしまう瞬間がある。
言葉が正しくあるべきことに執着しているだけだとは思っている。

「人の振り見て我が振り直せ」である。

あと、すごく自分の得意分野をひけらかす癖がある。
「能ある鷹は爪を隠す」ことができた試しがない。
能がないんだろうな。

本当の能っていうのは、それが間違っていたことを知っていたとしても、その場の判断で対応するかしないかを考えて行動できることなのかな。

私の周りに、ことばがすごく綺麗な人っていうのは少ないけど、能を持った人はたくさんいるなと思った。

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