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家元

1997年11月7日(金)
家元は年も年だし不調である。
弟子のなかに、わたしこそは!と奢り高ぶった女がいる。彼女は家元の加減を少しも気にかけていない反面、早く死んでくれとも思ってはいない。ただ、継ぐのはわたしだ、と独り決めしている。実力は、周囲の人間も認めている。
家元にはお気に入りの弟子がいる。よくドラマに出てくる善良そうな顔をして裏切る人、そんな顔の男だ。男は何くれとなく家元を気遣ってきたから、家元は自分が敬愛されていると感じて、その男の弟子を気に入っているのだ。

「家元はあの男を気に入っている。ふぉふぉふぉ」と笑う別の男の声。
「わたしこそは!」の女、
「それがどうしたっていうの? あのサラリーマンに継げることじゃないわ。片手間でできることじゃいの。昼も夜も離れることなんてできない。できるのは、わたしなのよ」

朝から家元は疲れていた。庭の緑に面しているのに窓がない広間から、左の少し小さい室に移って休むことにした。
女はそれに見向きもせず、一心に茶をたてていたが、お気に入りの弟子はお供した。
広間にはない窓があった。大きい。
本来は「朝」なのだから深く眠りこまないように「障子を開けましょう」と男は言って、障子を開けた。
鬱蒼とした木々。眩しくなくて丁度いいかんじ。

家元っていいわね、こんなとこで寝てられて、と思って見ていたら、男がキョロキョロして、サッとグレーの幕を張った。
ぐん、と部屋が暗くなってしまった。
この男、言ってることとやってることが違うじゃないか。
家元を殺して取って代わろうと目論んでるんじゃないか?
やな感じ。


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