留まりたいのか留まりたくないのか
Negativ capabilityでございますよ。
1、2年前、読んだんだ、対話、誰かと誰かがなんかおもしろい話してて。どちらかの人が「ネガティブケイパビリティ」ってことばがあって、キーツがつくったことばでね、って意味を教えてくれて、あとからWikipediaで調べてメモした。
いいことばつくってくれたな、キーツ! 凄い!
親の頭がおかしくてその親たちのところにいるしかなかったから、ネガティブケイパビリティわたしはあるんじゃないかって気がしたけど、どうなんだろう。いのちの危機に際して生きものは、戦うか、逃げるか、凍りつく、のどれかで対応すると知った。子どものわたしに逃げ場はなかった。戦っては負けていた。凍りついた。
母親に質問してまともな返事が返ってきたことがなかった。子どものわたしが母親に何をきいたのか忘れた。母親が喚いたことばは再現できる。
「あんた頭あるんでしょう?! 自分で考えなさいっ!!」
驚きと恐怖で目が見開いたわたしが見える。
なんでお母さんこんな反応するんだろう?と頭は考えていたが、それを声にして発することはなかった。
こんなことを数回体験して人に質問しなくなっていた。
わたしは質問できないんだな。質問できない自分に気づいてからも質問できないままに質問できない自分を呆然と見送ってきた。
質問できないことで自分が相当困っていることと、その影響で周りの人に負担をかけていることを無視できない状況にあたしはある・・・とわかって、ようやく質問リハビリを開始した。きかなくていいことと質問しなきゃいけないことを分別して、たずねる必要があることは、質問する。恐々たんびたんびに質問した。質問して母親のような反応を示した人にはいまのところ会っていない。リハビリリハビリリハビリ人生。
9月6日山が目の前にあった。
敬愛する人が、ひとつの事実について完全に矛盾する発言をした。10日前と9月6日で全く違うことを。
10日前何食べたという話じゃない、重い事実に関することが完全に矛盾しているなら、その事柄がそもそも事実なのかさえわからなくなる。
なぜ?
混乱した。
どういうことですか?とききたい。
ききたいが、きけるのか?
この著しい矛盾に触れてよいのか?
恐怖がじわじわ締め付けてきた。
質問はできないと思った。
質問はしない、わたしはきなかいだろう、たずねないだろうーーー気がついたら胃が変だった。あれ、どうしたんだろう? さっき食べたあれ、あんまりおいしくないと思って食べてたからかな。食べない方がよかったのかな。胃が重く重くどこまでも重くなりそうなところで、はぐらかそうと努力していることを認めた。
ごめんね、胃。教えてくれてありがとう。
矛盾を明示して、「疑問です」と伝えた。
答えは、返ってこなかった。
親の頭がおかしくなくったって、「不確かさや、不可解なことや、疑惑のある状態の中に」人はしばしばあると思うな。
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