ふつうに思った次第です。

わたし本当は─全て全部何もかも最終的には─だめだって知ってるの

囁き。けっこうちょこちょこ来る囁き。わたしに聞かせるつもりはないような囁き。今日はじめて日記に書いた。書いてみようと思ったときに、おっかなくていままで聞こえなかったふりしてたってわかった。知らんぷりしてれば大丈夫って、大丈夫じゃないよー。揺るぎない真実として受けとめてしまっていた。同意していた。

ふろのとき、ふと思いついて、聞いてみた。
わたしが惨めに、悲惨に死ぬとうれしいのか?
うれしい
間髪を入れず返ってきた。
そうか、うれしいのか。
こんな凶凶しいものをわたしがつくっちゃったのか······んー、とはいえ、ねえ、嫌だよなー。なんとかハッピーエンドに持ってけないか?
って、このまがまがしいものに太刀打ちできないよなー。
あったかいお湯のお陰、深刻にならなかった。
端から見れば喜劇だけど、わたしにとっては悲劇だよー、やだよー、とかひとごとのように考えていた。
で、いいこと思いついた。ハイヤーマインドにハッピーエンドにしてもらおう♪お任せしちゃおう。
はい 任された♪
即、お返事が。うれしい。軽い。

ささっとふろ掃除してるとき、この自己破壊の権化は凄いよねと感心してしまった。敵ながら天晴れ?
自己破壊に全力を注いで疲れを知らない自我が反対の方向に力を注いだら、どれほど素晴らしいことを成しえるかわからないよねー。
育ちかたによってはそういうふうにもなるんだよね。
──母はどんなときも「あなたは素晴らしい、大丈夫」と言ってくれました。そんなことばを何度も見聞きした──
考えがここまで流れてきて、わたし偉いじゃん、すごく偉いじゃん、ってふつうに思った。




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