見出し画像

「温イ一隅」


大きすぎる喪失をだいてそれでも生きる人へ


浩三さん 絵本 叫び

家に帰ってきて今日はnoteではなく本を開いた。
「戦死やあわれ」を読んでいたら、筑波の兵舎で浩三さんが認めていた日記の1944年3月18日に、「温イ一隅」ということばが。ロシヤの小説にはよく「温イ一隅」ということばが出てくるそうだ。

浩三さんは日記を持って兵舎の中でひとりになれるところへ。

便所ノ中デ、コッソリトコノ手帳ヲヒライテ、ベツニ読ムデモナク、友ダチニ会ッタヨウニ、ナグサメテイル。

竹内浩三「戦死やあわれ」

こう3月16日に記している。そして18日に「温イ一隅」の記述。

タトエバ、チェホフノ「殻ノ中ノ男」ニモ「自ラヲ嘲リ、自分自身ニ嘘ヲツクーーコウシタコトモ、一片ノパンノタメ、温イ一隅ノタメナノデスカラネ」
 コノ手帳ハ、ボクノ「温イ一隅」トモ云エル。

胸にしみた。
noteはわたしにとって温かい一隅にほかならない。
 かの人にとっても温かい一隅にほかならないだろう・・・・・

絵本との出会いはわたしが大人と呼ばれる年になってからだった。
こんなすてきなものがあったのか!
子どもと呼ばれていたころわたしは子どもではなかった。
28歳のとき「心の傷は必ず癒える」を読んだわたしは、意識的に生きる決意をした。ばらばらに散った子ども心を拾い歩くうちに絵本と出会った、来し方を遠く眺めればそんなふうに説明できそうだ。
絵本の絵と少ないことばは存在の深層の水源に苦もなく吸いこまれてゆき、表層から泉のようにあふれる。


くそばばあ死ね
地球が震える
大音声で
叫ばないで死ぬるのか?

2020.11.27



生き延びた子どもの怒り

餓死の危機に瀕したときわたしを救ってくれたふたり。恩人のひとりに、わたしは幾度自分を生んだ人の邪悪さを話したか。

「あんたが大きくなってお母ちゃんを包んでやりな」

「・・・でも、あんたを殺さなかったじゃん」

そこまで下げなきゃいけないのか、と悲しい思いでわたしは黙るしかなかった。

わたしを生んだ人はわたしのからだが死なないようにはした。

「からだを殺さなかった」
この線まで望みを下げなければいけないのか? それがわたしの現実か?

とてもじゃないが承服できない。
だけどわたしはついこの間まで、「母」を気遣っていた。
絶滅収容所を生き延びた人が収容所の所長とヒトラーを気遣う?
絶滅収容所を生き延びた人に、所長やヒトラーがそうせざるを得なかった経緯があるんだよ、と諭す人がいる?
生き延びた子どもはうちとそとからこの攻撃を受ける。
自己免疫疾患、耽溺、必ず破綻する関係、閉じる、ゆるやかな自殺、激しく断ち切る自殺、破壊性が自分へ向かわなければ、他者ではない他者を殺す。
守られるのは自分をはじめに殺した親。
親がその魂を殺した子どもが、あらゆる犠牲を払って親を守る。

殺人的怒りが未だ消えない
殺すなら
自分ではなく
わたしを破壊した  を殺せ!!

2015.11.3


耳には聞こえない声

「でも、あんたを殺さなかったじゃん」

noteを、浩三さんが生きつづけておじいさんになることができていたら、浩三じいさんはnoteしたんじゃないかなー・・・ぼんやりこのごろ思うんだ。 
もし、あの人が生きられいたら、もし、あの子が生きられていたら──年をとったからかなぁ、思うことが稀じゃない。詮ないことだけど、本当に詮ないことだろうか。
そうかんじるほどに、この生はわたしにとって欠けがえがないと言えるのだろう。だろうというのは、しょっちゅうぶん投げたくなってるから。
いのち半ばで、いのちのはじまりで断ちきられる人の、なんと多いことか。
その、ひとり、ひとり、会ったことはなくても、断ちきられたと知るたびに、悼むことさえ、似つかわしくないとためらい、悼む。その断ちきられたいのちが、わたしのいのちもまた欠けがえがないのだよと語りかける。

わたしはその耳には聞こえない声に応答しなければいけないとかんじる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?