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「呪いを解除する方法は祝福しかありません。」

 ある選択が適切だったかどうかを判定するときの度量衡はいでも「生きる力」の増減です。生きる力が高まるか、抑制されるか、それを自分で自分の内側を見つめて点検する。わずかな針の揺れですから、相当にセンサーの感度を上げておかないと関知できませんけれど、それがいちばん信頼性の高い判断基準です。

内田樹著「困難な成熟」149ページ

「呪いの時代」

内田樹先生のことばに触れたのは40半ばかなー。その名がよく目と耳に入って気になってからだいぶ経ってからだった。「流行ってる」感じだった。流行ってるなら読まない、って天の邪鬼だよ。
疲労困憊の「困憊」という字を書けるようになったほどの疲労からは解放されてまた人とかかわれるようになったけれども、苦しくて。
近くの本屋さんの棚を見上げたあるとき、「内田樹」の文庫が固まっていて、その中の「呪い」の文字にぐいとつかまれた。
呪いを解こうともがいていたから。

「呪いの時代」内田樹著 新潮文庫

「困難な成熟」

久しぶりにぽつぽつ読んでいたら胸がしめつけられるような。はじめに読んだときの感動を超えている。

「困難な成熟」内田樹著 夜間飛行

 ぎりぎりまで削ぎ落とした交換の本質は僕たちに「存在していることの根拠を与えること」なのです。
 という前提を踏まえて、贈与について考えます。

「困難な成熟」202ページ

わたしを生んだ人たちは、「交換」を知らなかったのか。
「与えてやる」と「奪う」しか知らなかったのか。

「わたしは存在していい」という確信がない、「存在していいのか?生きていいのか?」という疑問がつきまとっていた。
その影はだいぶ薄れてきたような気がする。

  贈与というのは厳密に言うと「反対給付」のことです。
 もうすでに誰かから贈り物を受け取ってしまったので、返礼しなければならない。その義務感にせき立てられて行う行為が「贈与」です。
(略)
 贈与は自己を起源とする主体的な行為ではありません。贈与はそれ自体「すでに贈与を受けてしまったことの結果」なのです。
(略)
「あ、贈与されちゃった。はやく反対給付しないと・・・」というふうに感じた人が始めるのです。
(略)
 あなたが「すでに贈与を受けた」と感じているかどうか、それだけが問題なのです。

202~204ページ

 交換の最初にあったのは「贈与」ではありません。
「ああ、これは私宛の贈り物だ」と思った人間です。
 彼がそこに見た「なんだかよくわからないもの」は風で吹き飛ばされてきたものかもしれないし、動物が咥えてきたものかもしれないし、よその部族の人が「こんなゴミいらねえや」と捨てていったものかもしれない。
 なんだっていいんです。
「これは私宛の贈り物だ」と思う人が出現したことによって贈与のサイクルは起動する。

206~207ページ

わたしが生まれて育ったうちでは「贈与のサイクルが起動」しなかった。「わたしが犠牲になってあげてる」という母親と「俺が犠牲になってる」という父親と、子どもの隠された犠牲だけ。機能不全家族ってそういうことか。

「身体の言い分」

内田樹先生の本は前書きを読むとうれしくなる。機嫌のいい声が聞こえてくるようだから。
一度だけライブに行かれた。2020年の1月だった。話はなにも覚えていない。目の前の機嫌のいいお顔しか覚えてない。
わたしの斜め前の男の人が、酷い咳で、気になった。それほど広くない部屋。こんな咳が出るのに、なんで外出する?と迷惑に感じた。こんな状態でも、どうしても、来たかったんだねーと考えて不快感を和らげようとした。いちばん危ないところで話している内田樹先生は、全然気にしてるように見えなかった。気になってるかもしれないけど機嫌よくしていられる人なのかなーとか考えてるうちに、この酷い止まらない咳がたちの悪い風邪だとしても、内田樹先生は風邪をひかないだろう、そしてわたしも大丈夫だろうという気がしてきた。
わたしは風邪をひかなかった。

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
「身体の言い分」文庫版を手に取ってくださって、ありがとうございます。お買い上げ頂けるとうれしいんですけれど、とりあえずは、この頁をめくってくれたのも「他生の縁」ということで、もう少し読んでいってください。  

「身体の言い分」5ページ
毎日文庫

池上 ご自分の調子の悪さをあれこれ考えちゃう人はなかなか治らないんです。なんにも考えないで私に委ねてくださる人は早く治るんです。私は特別に難しいコトをしているわけではなく空間と同化しているだけですけど。
内田 脳がじゃましているんですね。
池上 新しい脳がじゃましている。トカゲとか爬虫類とかの、原始的な脳だったらいいのにね。うまくいっているのに、「これなんですか」って聞くんですね。だから、ぼーっとしていればいいんですよ(笑)。
内田 ワニになって考えろ(笑)。脳を使って、脳の干渉を解除する。言語を使って、言語の干渉を解除する。そういう逆説的なことをしないといけないんでしょうね。

「身体の言い分」313ページ

「ヴォイス」 矛盾 葛藤 「困難な成熟」

内田 今の子どもたちの話を聴いていて、いちばん感じるのは、語彙の貧困というよりも「ヴォイス」の貧困ということなんです。一つしかないんです、語り口が。(略)
池上 正しい敬語がどうこう、という以前の話ですか。
内田 敬語を使えないどころか、話し方を一種類しか知らないんです。(略)
 ヴォイスが一つしかない人はチューニングができない。二つヴォイスがある人は、二つの周波数帯で交信できる。同じコンテンツを、同じ文法で語るんですけれども、ヴォイスが複数あれば、それぞれのヴォイスで微妙に違うことを語ることができる。
(略)
何かを言いながら、「こんなこと言っていいのかな」と思うことってありますよね。そういう時に、話している自分と微妙に違う自分が出てきて、自分に対して「おい、そんなこと言い切っていいのか」と疑問をはさむ。それに対して、三人目が出てきて、「いや、今の場合は、それでいいんだと思うよ」と擁護に回る・・・。そういうふうにして、自分の中で複数の声が輻輳していくことがあるじゃないですか。そういうことができる人は、すごく、チューニング能力が高いというふうに言えると思うんです。

「身体の言い分」35~36ページ

人間でも、組織でも、成熟は葛藤のうちに身を持すことによって達成される。

  ⇩

「葛藤のうちに身を持す」
こだまする。

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