そんな異世界転生で大丈夫か。


 ある異世界転生ものの小説を読んだ。書籍化している有名なやつだ。

 主人公はブラック企業に勤めて身体を壊して死に、女神様にチート能力を授けられる。
 転生した先は未開の地だが、凄まじいチートで生活基盤はサクサクと構築される。都合がよくてノンストレス。迷い込んできた美少女もあっという間に奥さんにする。奥さんも大変都合がよく「このケダモノ!」から「旦那さまぁん」まで、あっという間だった。
 主人公のチート能力は「テレビで見たことがある」程度のものを、すぐさま現実化する。このため、作物の収穫方法や建築、薬学知識など、筋を通せば大変な情報量と専門用語無しには解説できない行程が、さらさらっと進められていく。普通、知らない単語が3つも出てくると読む気を無くすものだが「テレビでみた」が問答無用で実現するため、誰も置いてけぼりにならない。

 そうこうするうちに、ヒロインがじゃんじゃん追加され、ハーレムが形成されていく。毎日毎日励む主人公。正室争いなどなく、みんなが大好き。みんなも大好きで、幸せな家庭生活。当然の帰着としてヒロインが次々と妊娠し、出産する。

 このとき、主人公の干渉は一切無し。
「妊娠したらしい」「生まれた」程度の描写だ。遠巻きに心配するくらいで、妊婦にも産婦にも、そして新生児育児にも、主人公はまったく関わらない。ただ彼は生活基盤を拡大する「お仕事」を淡々と進めて、追加されてくるヒロインを手なずけては奥さんにしていく。

 私には四人の子供がいて、家事育児を担当している。
 奥さんが妊婦のときにどれほど気をつかい、生まれてからもどれほど尽くしてきたか。そしてそれでもなお足りないと思ってきた身からすると、この主人公の首ねっこをとっつかまえて、一人で出産した(立ち会った人がいるとすれば愛人)であろう奥さんのところに連れて行きたくなる。

 だめだ。若い。性欲と支配欲と男性ホルモンだけで突っ走っていて、女の都合とかまったく考えてねえ。作者には、まだ結婚や出産や子育てが描けるだけの、人間的内容がない!

 最初はそう思って、次巻からは切ろうと思った。
 でも、それはちょっと違ったのだ。

 上記の小説を読了してから、別の小説を読んだ。
 女子高生が、某有名原付バイクを手に入れて、生活を変えていく物語だ。これもとりあえず一巻。
 波瀾万丈でもなく、主人公が絶望に叩き落とされることもない。淡々と、地方で女子が世界を見る目を開いていく物語。
 しかし、手応えとしては、ワクワクするのだ。
 思えば、有名キャンプ漫画も、有名堤防釣り漫画も、そしてこれも、女子高生がオッサン趣味にダイブしていく様子を描いている。我々は彼女にライドして、未体験の、あるいは過去の体験を追っていく。まるで自分がその趣味の世界に入っていくかのようなワクワクを、彼女らは作中で体験していく。

 原付バイク小説でいうと、主人公は「それは面白そうだけど、普通はやらんだろ」という選択をする。なぜそうしたのか。ワクワクしたい我々は、そっちの軽はずみな行動の方が読みたいからだ。この物語では、女子高生のリアルでキッツい世界は描かれない。それは「はじめての趣味にワクワクしながら、いろんなことを試していく」という行程のノイズになるからだ。

 振り返ってみる。
 最初の異世界転生小説もそうだ。未開の地へと裸一貫にドチートスキルだけ握って放り出され、そこから次々に快適な生活を確保していく充実感。初歩的な発想で完成させたものを組み合わせて、何千年の歴史的結実である文明を実現させてしまう驚き。

 都合良く降ってきて助けてくれるのみで決して邪魔をしないヒロイン。面倒な奉仕も駆け引きも必要なく、様々な個性の女性が追加されていく。実はこのハーレム要素はオマケで、むしろ加速剤にすぎない。

 この小説は男の開拓魂を満たすことに特化した「ワクワク」を味わってもらうための小説なのだ。「田んぼを開く力と書いて『男』」という感じの肯定感とワクワク。

 自分でも小説を書いているのだが、ノイズを全面的にカットするとスッキリすることがある。この流れだとこのキャラはこう思うはずだから、こういうテーマが新たに入るな、物語に深みがでるぞ、と思って書き進めても、最終的には全体のノイズにすぎずカットだ。
 あと年を取ると物語の中に説教臭い人生訓をドバドバいれたくなるが、エンターテインメントの基本としては二時間映画くらいの内容で、一滴あるかどうかくらいがちょうどいいらしい。

 そういうわけで、かの小説における、妊娠出産育児は、実はノイズなのだ。そして、自分はそのノイズが足りないと駄々をこねていた。
 経験者からすると物足りないが、異世界転生小説を読まんとするメイン読者層を考えると、そこをねちっこくリアルに描かれて「はあ、勉強になります」とはならない。ただ静かに本を閉じられるだけだ。

 この作者はたしかに、執筆時には結婚も出産も育児も経験していないかも知れない。
 それゆえに、描けないのかも知れない。
 だが、この物語にその要素は必要ないのだ。

 シンプルに、描かれているだけの要素を、切り分けて楽しむ。
 こういう小説の消費の仕方を、いままで知らなかった。


 クリエイターが年下になって久しい。
 老人が集まって若手に「だめだね、重みが無い」「前の人の方がよかった」「どうも違和感がある」などと文句を垂れることがあると思う。
 でも私は「とてもよかった」「私はいまの最高だと思う」と言って絶賛する人でありたい。

 不満、味気なさ、違和感。ぜんぶ飲み込んで、ただ年下のクリエイターが大成することを祈る者でありたい。

 贅沢を言えば、いまは「私」という読者には物足りなく思えるが、いつか彼は大作家に成長し、私が驚くような作品を書いてくれると嬉しい。願いを込めて、とりあえず、この小説の二巻は買った。

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