25|休職日記:11日目【祖母を介助して学んだ事は恐怖心だった】
11月11日 月 曇り
|11:32 AM
今日は20℃くらいになると天気予報でやっていた割には寒い。我が家はストーブがついてます。
介護施設に入所していた祖母が先週末から一時帰宅をしていて、初めて介助なるものを経験しています。室内は車椅子で移動。食事の準備や着替えの用意などに介助が必要で、トイレも付き添い。これは経験してみてわかる大変さですね。話に聞くだけでも大変だなと思うけど、介助の対象者がどれくらいの事を自分でできるかでかなり違う。祖母はまだ排泄後の拭き取りなんかは自分でやれるようにリハビリしてくれてたけど、トイレを流す行為が難しかったりする。人ってこれほどまで動けなくなってしまうのかと思って、失礼とは思うけど正直歳をとるのが怖くなった。
できない事は仕方ないと思っているので、別に介助する事に対してそこまで抵抗はない。やらなきゃいけないからやる。母ひとりに任せる事もできるけどそれをやってしまうと家庭が潰れる事になるので、可能な介助はやるし家事負担も担える事はやろうと思っている。多分これだけで母の負担はだいぶ軽くなると思う。
人を支えるって結構大変で、見よう見まねでやっているので母も私も特に上半身がガッチガチに凝り固まっていて湿布がお友達になりつつある。母が「あんまりアンタに頼っちゃ何のために休んでるかわかんなくなるね」と言うので、その分祖母が通所して居ない日中はやれる事しかやらないしゆっくりさせてもらってるよと伝えてある。「なにかをやらないといけない状態」というのは自分も気が張るし体調も崩れにくいのかもしれない(そもそも外出してないから症状も起きないのかも)
祖母がいる事で朝の起床時間がいつもより1時間早くなってそれがしんどいけど、私は日中眠ればいいし、今日は既に2時間昼寝をしてしまった。
元々祖母は足が悪くて長年杖をついて歩行していたけど昨年末に転倒。それがキッカケで長期入院になった。家に帰ってきたのは実に1年ぶりで、リハビリの甲斐あってかなり改善された面もあったのだけど1日が経過するごとに動ける範囲が狭まっていった。帰ってきた当日はもっとスムーズに動けたのにほんの1日で人の筋肉や可動域ってこんなにも変わってしまうのかとこの時初めて実感した。きっと年齢がどうこうの問題じゃなくて、私も運動しないでいたらどんどん衰えていくんだと急に怖くなった。
せめて祖母の年齢の時にはひとりで歩けていたい。トイレに行きたいと思ったら自力で行けていたいし、80歳過ぎても温泉に行ったりお買い物に行ったりできるようでありたい。ぽっかりした顔でテレビばっかり見て1日が終わるようなそんな生活を送りたくないと、祖母を見ていて思う。祖母は元々足が悪かったけどそれは自分が病院に行く事を拒んだ結果なんだとか。「早く治せていれば」と周りは言うけれど本人は病院が嫌いなんだと拒み、リハビリも「痛いからやりたくない」と拒んだ結果が今なんだって。それを聞いて私も多分そうなるだろうなと思った。意志が弱いんだもの。きっと気付いたら祖母の様になってると思う。それもあって怖くなった。将来の自分を見ている様で。
たくさんあるやるべき事の中に「健康寿命を延ばす事」を長期最重要課題として置いて、まずは自宅でできる事から始める事にした。誰のためでもない私のために。それが巡り巡って将来誰かのためにもなると信じて。
- 目標 -
90才を超えても身の回りの事が
ひとりでできる身体作りをする
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