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ガールズバンドクライに食らった3ヵ月だった

※この記事はガールズバンドクライ全話を視聴した方向けです。
ネタバレも含むのでご注意下さい。

ガールズバンドクライが終わった。
放映開始時の1話からリアルタイムで追っており
各話でレビューすることも考えたが
全話を見終えた後で整理を付けたうえで書いた方が
この食らった脳みそを整理できると思い、ここまで感想を抑えていた。
書く。


河原木桃香の物語であり、どこまでも独りよがりな物語だった

このガールズバンドクライは主人公の井芹仁菜という
狂ったキャラクターが起因で大きく話題を呼んだアニメであり
井芹仁菜が中心にストーリーは展開されていくのだが
少なからず、このガールズバンドクライ一期のストーリーは
河原木桃香が救われていく過程を描く物語であったと感じた。

物語の最後に披露された「運命の華」の歌詞にも記されているように
興行も大失敗、1曲シングルを出してそのまま退所する不義理
何の後ろ盾も無いまま、ダイダスのファンがアンチとしてついてくる。

この後のトゲナシトゲアリの状況は、間違いなく地獄で
ここまでリアリティーを汲んだ作品である以上
その地獄は現実同様で、生ぬるいものではないんだと思う。

それでも自分の楽曲を信じて付いてきてくれるバンドメンバーが
一緒に間違った選択をしてくれるという
ダイヤモンド・ダストを脱退する時と、対比されるような構成になっているのは
河原木桃香へのこれ以上ない救いになっている。

独りよがりな理想論を振りかざしながら
ダイヤモンド・ダストに大敗を喫しメジャーシーンを去っていく。
結果だけ見ればカタルシスなどどこにもない、現実を淡々と描いていくだけの最終話だった。
8話や11話のような湧き上がるような熱狂を求めていた人間にとっては
確かに肩透かしの結末だったのだと思う。

しかし、この「ガールズバンドクライ」一期を、河原木桃香の物語だったと考えれば
エンディングとしては最高のものだったと思う。
(もちろんそのような視点で見るのならば
最後の2話に関しても、もっと桃香の作曲に対する苦悩だったり
細かな描写に焦点を当てた形で見てみたかった気持ちは否めない。
しかし、この物語の主役は井芹仁菜であるため
ヒナとの描写を、作れるか分からない二期に持ち越すことは出来ず
詰め込まざるを得ない点はあったのかと思っている)

井芹仁菜


やはり全編通しても、このアニメで完全に叩きのめされたのは
8話における河原木桃香に張り手をかまし
彼女の頭を打ち付けながら凄む井芹仁菜の姿だった。
「我々は彼女に顔向け出来る生き方を出来ているんだろうか?」
という頭の中の自問は今も生き続けていている。
ガールズバンドクライ一期は河原木桃香を救われるという話の骨はあったにせよ
個人的には、視聴者に対して
最も問いかけられたメッセージはここだと思っている。

これは筆者自身が1クリエイターであることが起因しているかもしれないが
「創作による生き方を選んだ人間が、商業的な消費活動の一環として絆されたものを作ることに何の意味があるのか?そもそもそんなものを消費者が求めていると思っているのか?自分の創作の至らなさの言い訳に、消費者をだしにしているだけではないか?」
と詰められているようで、8話を食らった後の2週間ぐらいは
漠然と頭の中で井芹仁菜の言葉がリフレインしていたと思う。

ここまでは井芹仁菜の8話における描写に関して書いたが

正直なところ、この一期だけのストーリーでは井芹仁菜の存在というのは
余白だらけの存在で、未完成のまま終わってしまったと感じている。
もちろんそれこそ、ロックというコンセプトの中の一つである
青臭さ、未成熟さを描くため、という見方も出来なくは無いが。

ただ、このような物足りなさがSNSの感想などで散見される消化不良感にも繋がっており
まだ終わった気がしないのも
井芹仁菜という人格・ストーリーの完結がされなかったことが大きな要因ではないのかと思う。

家族・旧友のヒナとの相互理解の様は物語として確かに描かれたが
ダイダスを辞め、自身の我を貫き通した河原木桃香が受けた苦しみを
井芹仁菜自身はまだ受けていない。

事務所を辞めるという決断で
トゲナシトゲアリの道筋を、大きな茨の道に変えたのは間違いなく井芹仁菜であり
その大きな枷をバンドメンバーに背負わせた責任を描かずに本編は終了した。

このトゲナシトゲアリというバンド自体の構造は歪であると感じている。
井芹仁菜という起爆剤に頼りきりで、例え選択としてどう考えても間違っていても
舵を取る人間の全てを呑み込むことで突き進む。

恐らく桃香・仁菜以外のメンバーはその点に関して自覚しており
海老塚智は、学校で行った仁菜行動そのものが正しいとは肯定していない。
すばるは元々、バンドメンバーの中では一番俯瞰的に現状を見られる人間として描かれていて、退所の話も「やれやれ…」といった反応で、肯定的な反応とは言えない。
そもそも「ダイダスに勝つ」という目標そのものに、仁菜・桃香以外のメンバーはあまり共感していなかった。

桃香・仁菜以外のメンバーは、割とダイダスとの関係に関してはドライに接しており、肯定も否定もしていない点。

このように、各メンバーがいびつな道に突き進んでいることを自覚しつつも
真っ直ぐに自分達の音楽をやり続けられるこのバンドを
「一生続けること」を目標としている以上
井芹仁菜の選択に踏み込む人間はいないのだろうと考える。

ただし、井芹仁菜だけは別で
「ダイダスに負けない」という当初の目標はもろちん
(なお、ヒナの気持ちに気付いた井芹仁菜において
「ダイダスに負けない」という目標は
商業音楽そのものに負けないといった
もう少しスケールの大きい目標になったように思える)

「一生続けること」を目標として新しく明示した以上
「売れなければ音楽で生活できない」という話にも繋がると思われる。
事務所を辞めるという選択をした仁菜には
バンドメンバーの食い扶持を無くしたという責任が間違いなく降りかかる。もちろんメンバー達がその点に対して、井芹仁菜を責めることはないだろう。

ただ、井芹仁菜は破天荒として描かれつつも
自分の力不足や選択を冷静に自覚し、自責できる人物であることは、最終話でも描かれていた。
要するに結局彼女も自身の選択の罪と向き合うことになり
状況は違えど、河原木桃花と同様の苦しみを味わうことを示唆しているのではないかと思う。
真に間違っていないと思える選択を取ったからこそ
その間違ってない選択の結果に対して、どう向き合うのか?

その苦しみが描かれる時こそ、井芹仁菜が真に主人公になり
トゲナシトゲアリのストーリーが始まるということだと思う。

河原木桃香

冒頭で、このガールズバンドクライ一期の物語は
河原木桃香が救われる物語であったということを述べたが
結局のところ最後の元凶もこの女だった。救われた顔をしているが
やはりもう一度地獄に落ちてほしい人間であるというのが、最終話まで見た感想である。
(本当に一番好きなキャラクターです)

ライブの直前まで、河原木桃香は
自身の音楽に自信が持てず、ダイダスからの提案を甘んじて受け入れようとするところで
仁菜の選択でまた寸前に救われるという、本当に情けない人物だったと思う。
また前述の通り、仁菜の選択に乗っかるということは
ダイダス脱退からトゲナシトゲアリが生まれるまでの苦しみも
仁菜に暗に受け入れてもらうことと同義であること。

これを河原木桃香というキャラクターが分からないはずが無いので
何というか、一番化け物なのは井芹仁菜ではなくこの河原木桃香だろと
改めて思わされた。

また、8話の仁菜の慟哭を食らった張本人であり
自分の才能が通用しないということに打ちのめされ
夢をあきらめかけていたこのキャラクターに
筆者をはじめとして、自身の挫折ややりきれなさを重ねていた視聴者も多いと思っている。
それゆえに、井芹仁菜との邂逅によって
最後の最後でダイヤモンドダストという過去との踏ん切りがついた河原木桃香に対して、先にいかないでくれという気持ちになってしまう。

このガールズバンドクライ一期で、成長の軌跡が最も如実に描かれたのが河原木桃香であり
運命の華における歌詞で、完全に過去との決別を書いた彼女に対して
「遠いところにいってしまった」という喪失感を持てた人間が
このガールズバンドクライ最終話に対して、納得することが出来た人間なのだと思う。

だが作中の他メンバーからすると、勝手に解決してスッキリして
自分のストーリーを終わらせてんじゃねえよという気持ちがあるはずなので
何なら智ルパすばるにも一度ビンタしてもらって喝を入れてもらう回があってもいいと思う。
今後も河原木桃香の苦悩が何らかの形で続くことを願う。

確かに最高のアニメだった ただし二期もやってくれ・・・

ここまで、仁菜がこの後自身の選択と向き合い苦しむことを前提として
本記事は書いているが
本作品の最終話は、退所後にインディーズで
売れなくてもいいから細々と仲良しバンドでぬるま湯に浸かるエンドとも取れるので、もちろん筆者の妄想であり確実性は無い。

とはいえ、もし仮に二期があるとして、そのようなぬるま湯だけのストーリーで終わるような作品ではないという期待があるし
一期の中で、トゲナシトゲアリの選択が間違っていなかったことが証明されたわけでもない。

井芹仁菜の選択のその後があるからこそ、完結する作品だと思っている。
二期、頼みます……。

ガールズバンドクライとの出会いとスタッフ陣について

一応、これは筆者自身の自分語りにはなるが
1年前にアップロードされたガールズバンドクライのMVから本作品に関しては知っていたので、その点に関しても触れておく。

出会いそのものは1年前に突然アップロードされた「名もなき何もかも」からだった。
本当に突然、とんでもないクオリティの3DバンドアニメのMVが出てきて驚いた記憶がある。

この一年前の自分のツイートのツリーでは
どのタイミングでこの楽曲が披露されるんだろうか。
音楽的な深掘りとかもされるんだろうか、という話をうっすらとしているが、おおよその予想は打ち砕かれた。

主人公が予備校辞めて作曲者がバンド辞めるわってタイミングで
プロジェクト初出しのシンボル曲を演るとは思わんやん……。

自身が少なからず、3Dアニメーションを扱う仕事に携わっている為
単純に技術的な興味でガールズバンドクライを追い続けており
アニメそのものも、ストーリーというよりは
どちらかといえば3Dの表現自体に対する関心から見始めた経緯がある。

実際、ガールズバンドクライにおける3Dアニメーションは本当に素晴らしく
月並みな言い方にはなるが、日本アニメの3D表現の転換点になるようなものだったと思う。

オリジナルアニメという、どれだけ実績や功績のあるクリエイターの方が集い、広告予算を投じても
博打にならざるをえないような商材であること。
これはアニメーション業界の経験の無い自分でも何となく想像がつく。
そのような中、ここまでクリエイティブに真摯に向き合い
一社の企画として予算を投じた
東映アニメーションの姿勢にひたすら圧倒された。すごすぎ。

少し話が逸れるが、作品の外枠を語るうえで
音楽プロデュースを行っていたagehaspringsの代表
玉井健二さんの話題は欠かせない。
この記事が大変良かったので、紹介する。
https://www.kkbox.com/jp/ja/column/interviews-0-323-1.html
(引用: 【特集】agehasprings玉井健二|話題のバンド・トゲナシトゲアリについて徹底取材 KKBOX)

かなりガールズバンドクライに関わるうえでの
音楽的なロジックや狙いを語られていて
それはそれで非常に面白い内容ではあるが
最終的な理論として「俺達は"本気(ガチ)"だからいける」という理論に
終始帰着しているようにも読める内容で
ガールズバンドクライを手掛ける方らしい、読んでいてとても清々しい記事になっている。

agehaspringsは、ガールズバンドクライに限らず
様々な著名アーティストのプロデュースを行ってきた、途轍もないクリエイティブカンパニーなので
気になった方はWikipediaなどを読み漁ってみるといい。

本記事に手を付けるにあたって
玉井健二さんが2014年にリットーミュージックより発刊されていた
「人を振り向かせるプロデュースの力 クリエイター集団アゲハスプリングスの社外秘マニュアル」も読んでみたのだが

「真ん中は捨てる」「ダサいものに心理は宿る」の項目など
そのままガールズバンドクライの楽曲やMVのエッセンスにもなっているように感じられた。
こちらもAmazonのリンクを紹介しておく。

こちらは専門的な内容も多く、業界知識のある人向けの本になっているが
ビジネス書としても勉強になる点が多く
あまり業界に対して興味のないような人でも
読み物としてしっかり楽しめる内容に仕上がっていたと感じる。

ガールズバンドクライにおける脚本の理解や解釈を広める為に
読んでみるのもいいと思う。

また、現役バンドマンYouTuberであるとみといびーさんの実況解説が
筆者としてはかなり共感出来る点が多く、この記事を書くうえでも要所で参考にさせていただいた。
こちらも併せてレビュー動画を掲載しておく。

(引用:【ガールズバンドクライ】現役バンドマンが「ガールズバンドクライ」最終話を初見で解説してみました #考察 #解説詳細 )

さいご

エンジニアのセリフにあった
「10年後にまだ続けてたらタダで仕事してあげる」 には、スタッフ陣の「10年後も必ず続いているプロジェクトにする」という覚悟と熱量を感じたし、その気概があるから応援してほしいというメッセージにも取れた。

正直アニメという媒体でここまで心を動かされたのは初めての経験だったし、初めて週アニメの円盤も買ってしまった。
それぐらいのエネルギーをこの作品からは貰ったので、本当に感謝しかない。

仁菜やトゲナシトゲアリの選択というのはどこからどう見ても独りよがりな選択で、仁菜という人物そのものには共感出来ないというのが本音ではある。

しかし、その仁菜というキャラクターが自身の選択を曲げることなく
一体どこまでいけるのか、それを見届けたいと思える気持ちは
ディティールが詰め切られたキャラクター像があるからであって
そこにご都合主義など無い、リアルを感じられるからだと思う。

本当に生きているバンドマンを間近で見ている気持ちで
いつの間か自身も河原木桃香を筆頭とした、トゲナシトゲアリのメンバーのような視点になってしまっていた。

ようやく食らった精神が落ち着いてきたので、この記事を締めくくりたい。。

10年後にこのアニメーションプロジェクトが存続していることを願い、本日6月30日締め切りの、井芹仁菜のフィギュアをポチって本記事は終わろうと思う。

ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。

#アニメ感想文 #ガルクラ #ガールズバンドクライ


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