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ぬらりひょんは妖怪の総大将ではない?

少し前のアマビエについて記事を書いた時
山本五郎左衛門という妖怪に出会った。

山本五郎左衛門と言う妖怪は
妖怪の眷属たちを引き連れる頭領であり、魔王に属するものらしい。

妖怪の頭領って
ぬらりひょんと被ってない?

一体どう言うことだろうか
ボスが2人もいることになってしまう。
派閥か?妖界にも派閥があるのか?

と言うことで
ぬらりひょんと山本五郎左衛門について調べてみたら

驚くほど、早く結論が出た。

ぬらりひょんは総大将ではない。

現在ぬらりひょんが
妖怪の総大将だと広く浸透しているが

実は、ぬらりひょんが
妖怪の総大将という伝承や裏付けはない。

確かに、妖怪の総大将にしては
民家に現れてお茶や煙草を要求するだけってのは
些か、しょぼい気がする。

では、何故このような話が
広く浸透してしまったのか…

元々のぬらりひょんの伝承は
岡山県と秋田県にある。
岡山県では海坊主の類とされ
秋田県では百鬼夜行の一員として伝承されている。

どこで誤伝が生じたのか
それは昭和4年に民俗学者:藤沢衛彦が出した
「妖怪画談全集 日本篇 上」のぬらりひょんの説明に。

まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉

と言う解説を付けたからとされている。

そして、これらに影響を受けた
水木しげるの作品「ゲゲゲの鬼太郎」で
鬼太郎の宿敵で「総大将」と作中で自称したことがぬらりひょんを総大将とイメージ付けた大きな要因だと思われる。

山本五郎左衛門と言う妖怪

読みは、[やまもと]ではなく
[さんもと]ごろうざえもん
妖怪なん?って思いたくなる名前

ですが冒頭でも言ったように
妖怪の眷属たちを引き連れる頭領であり、魔王に属する妖怪
格が違うのである。
故に、固有名詞なのかもしれない。

この妖怪は『稲生物怪録』に登場する妖怪で
今から江戸中期(1625年)まで遡る。
風貌は三つの目を持つ烏天狗の姿として描かれていることがあるが
自分は天狗の類でも狐狸の類でもないと語っている。

▼伝承内容(Wikipedia抜粋)
寛永2年(1625年)、備後国三次(現在の広島県三次市)において、稲生平太郎(三次藩の実在の藩士・稲生武太夫の幼名)を、30日間におよび様々な怪異を起こして脅し続けたが、平太郎は耐え続けた。そして7月30日に1ヶ月間の怪異の締めくくりとして、裃を着た40歳ほどの武士の姿で平太郎の前に姿を現して名を名乗り、自分は神野悪五郎(しんの あくごろう)と魔王の頭(かしら)の座をかけて勇気ある少年を100人驚かせるという賭けをしていたことを語った。そしてインド、中国、日本と渡り歩いて、86人目に平太郎を驚かそうとしたが、平太郎がどうしても驚かなかったため自分の負けとなり、自分はまた最初からやり直しをせねばならないと言って、平太郎の気丈さを褒めたたえた。そして、自分はもう怪異を起こすことはないが、今後、平太郎が悪五郎に襲われた場合には、これを打ち鳴らせば自分が現れて力を貸すと言って、木槌を平太郎に与え、妖怪たちを引き連れて去って行った。この木槌は広島市東区の国前寺に寺宝として後に伝えられている。

左:山本五郎左衛門 右:稲生平太郎 その背後:彼を守る冠装束の氏神

山本五郎左衛門の真の姿(駕籠からでる脚)と手下の妖怪達

個人的感想ですが
魔王の座を賭け、
子供を脅かす勝負はダサいけど

負けた相手を認め褒めたたえ、
小鎚を渡して潔く撤退するのは
王としての器や威厳があるなー
と個人的にかなり好感を持ちました。
神野悪五郎に負けず
魔王の座についてほしいですね。

まとめ

真の妖怪の総大将は山本五郎左衛門の可能性が濃厚

ここまで読んでしまったあなた
どうぞどうぞ、アマビエとご一緒に覚えて下さい。子供に大人気になるかもしれませんよ。

#毎日 #妖怪 #ぬらりひょん #山本五郎左衛門 #総大将


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