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台湾旅行記1

noteに登録して書き始めるまで2年。初めての投稿である。
旅行の思い出をどうにかして残したいと考えていたところ、こんなところに良いツールがあったではないか、ということでnoteで書き始める。記録のためであり、決して誰かに見てもらう用ではないので、そこはご理解を。

初めての一人旅、(ほぼ)初めての海外旅行

ほぼ初めての海外旅行で、一人旅、それも初めての。自分の行動力に驚いた。たまたま部活がオフになったので、思い切って計画した。「ほぼ」初海外というのは、約20年ぶりだからである。7月後半はレポートやテストで忙しいので、みんな乗り気じゃない、ということで一人で旅行することになった。
ただ実際7月になってみると、想像以上にスケジュールがきつかった。レポートは押し寄せるし、テストは受けなきゃならないし、インターンはあるし、もちろんバイトはあるしで、旅行の7月3週目は怒涛の忙しさだった。フライトは22:50発だったのだが、その当日も忙しかった。午前中にインドネシア語のテストを受け、午後は授業2時間。そして4限を早めに抜けて、塾で1時間バイト。急いで電車に飛び乗る。こんな感じであった。

いざ台湾へ

ほぼ初海外なので手続きもよくわからなかったが、とりあえずフライトには間に合って搭乗することはできた。問題はここからである。22:50成田発-1:40台北着のフライトで、次の日の予定も考えていたのでなるべく睡眠時間を機内で取っておきたいと思っていた。しかし全く寝れない。ただ周りがうるさいとか、飛行機が揺れるということではない。なぜだ。実はこの22:50から1:40という時間は私の普段の就寝時間前だったのである。なんなら頭をフルで回転させて課題をやっている時間である。普段寝ていない時間だから寝られなかったのである。そこからは地獄の時間の始まりだ。目を閉じても開けても寝られない。機内なのでスマホもいじれない。そうだ音楽を聴こう。これは名案である。夜だしサカナクションでも聴こう。ん、待てよ、イヤホンが見つからない。どこに入れたかわからない。結局機内では無の時間が過ぎた。やることがない、なのに寝れないときほど苦しいことはない、と感じた機内であった。


空港にて

結局寝れないまま台湾に到着した。現地は2時近く。まず何をすべきなのかわからないので、とりあえず近くにあったATM的な機械で、日本円を台湾ドルに換えることにした。なぜかわからないが、所持金の半分だけ換金した。そのあとは入国審査である。他の便もあったらしく、思いのほか混んでいた。30分以上並んだ気がする。機内は台湾人だらけだったのだが、列には意外と日本人がいた。あと入国審査の案内をしているお姉さんが少し怖かった。もたもたしていると「Come inside!」と叫ばれる。もたもたして怒られるのはごめんなので、審査で問われるであろう文言を、英語で素早く言えるよう頭の中でリハーサルしていたのだが、カメラに顔を映し、指紋をとるだけで、かわした会話は「Thank you」のみだった。少し残念であった。

無事入国審査を通過したわけだが、なぜかさっき残した日本円を台湾ドルにしなければならないことに気づき、再び換金する機械の列に並んだ。数分並んで、ようやく自分の番が来たとき、並んでいたのは換金できる機械ではなく、お金を引き出すATMだったのことに気づいた。機械が似ているので違いがよくわからないし、深夜のため、有人換金所は閉まっている。時間を無駄にした感は否めないが、気を取り直して別の列に並ぶ。早く空港から宿へ行きたいところだが、前の団体がもたもたしている。彼らはいったん列から抜けたものの、前に入りたいとのことだったので、入れてあげた。これは慈悲心ではない、彼らの中に醸成される日本人像を傷つけないためだ。彼らは持っているパスポートによるとフィリピン人で、耳が不自由らしく手話で会話していた。換金がうまくいったようで、笑顔でサムズアップしてきたので、こちらも笑顔でサムズアップした。これが台湾について初めての会話であった。ちなみにさっきの入国審査はこちらが一方的に「Thank you」と言っただけで、向こうは何の反応も示さなかったので、会話したとはみなさないでおこう。いやこの話題に入ると、何をもってコミュニケーションとするかという難しい話になるのでやめよう。

実は今台湾では、約2万円が当たる抽選イベントが行われている。そのイベント会場に行ったのだが、上にある照明が反射してQRコードが読み込めない。というか周りの誰一人読み込めていないのである。なのに係員はなぜか陽気である。いつになったら反応するのかと、惰性でカメラを向けていたら、急に画面が切り替わり、くじ引きが始まり、よくわからないうちに「sorry」と出てきたので、当たらなかったということなのだろう。

機場側ではなく臺灣(台湾)側から撮ればよかった。

深夜台湾の空気

空港でもろもろ終えると、3時近くなっていた。明日もあるので早く宿につきたいところだ。コロナ禍前は台北市内行バスが24時間運行していたようだが、今はない。ということを出発の2週間くらい前に知った。もともとバスを利用する予定だったのだが、早々に予定変更になってしまった。朝まで待つか、タクシーかということだったので、しぶしぶタクシーで行くことに。カウンターがあり、どこへ行くか聞かれて手配してくれるのだが、英語がよくわからず、自分の英語力のなさにあきれることとなった。台北駅へ行きたいと伝えたのだが、何度も台北駅か台北駅かと聞いてくる。そりゃそう言っているではないか。どうした。よく聞いてみると、台北には電車の台北駅とバスの台北駅があるらしい。ホテルから近い駅がどちらかはわからなかったが、とりあえず「train」と答えておいた。

5000円強かかってしまったのだが、一人タクシーは超快適だった。一つひやひやしたのは、運転である。高速道路を通るのだが、猛スピード120キロくらい出ており、少々怖かった。たまにブレーキをかけるので、前のめりになる。ここであることに気づく。ブレーキをかけるときは、前に警察車両がいるときなのだ。

夜の台湾の街並みを車窓から眺めながら、1時間弱、台北駅に着いた。どうやらこちらであっていたようだ。深夜(か朝)4時前。この時間帯の台北駅前は少し怖かった。多くのホームレスが寝泊まりしているのだ。日本ではこんなに見ることはないくらいの数である。(ホームレス=危険と言っているわけではない。が、直感的に身の危険をじわじわ感じたということである。)外国で夜は出歩くなというが、なんとなくわかった気がする。

2泊6000円の宿

この値段は台湾価格な訳ではない。台湾でもかなり安い方である。バックパッカーが泊まるようなドミトリーだからである。日本のネット記事でも下調べはしており、安全かつ快適そうであったのでここにした。
ようやくチェックインだが、そこまでできるわけでもない英語を駆使して、案内を受ける午前4時。周囲は寝ているため、宿の人は小声で、案内をしてくれるので、余計英語が聞き取りずらい。まあでもなんとなくわかった。というかジェスチャーや指の指す場所でなんとなく言っていることはわかる。「わかった」という英語のボキャブラリーが少なすぎて、ほぼすべての説明に対して「ok」で返していたと思う。どうにかしたいものであるこの英語力。
こうした宿だがシャワーは水圧OK、温度OKで想像以上に快適だった。シャワーを浴びて、やっと就寝。4時半前だったと思う。仕切りはカーテンのみの寝室である。イメージはカプセルホテルだ(泊まったことはないが)。隣や上の人が寝返りを打ったり、いびきをかいたりすると、まるですぐ隣にいるかのような音が聞こえるので、それが嫌な人は要注意だと思う。まあ自分は気にせず寝れた。


世界のバックパッカーが集まるようなドミトリー


(台湾旅行記2に続く)






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