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ブランドやモノについて、捉え方の変遷

以前、バックやスーツケースの話、メルカリの話題、ハイブランドについて等…持ち物についての話題が多かった際に、忘れないように書いていたこと。モチモノやブランドについての話だ。

ブランドに時代の感覚はついてまわってくる


今の若い人からみると、ポーターやTUMIはおじさんのブランドらしい。
ポーターのショルダーバックを使っている私にはちょっとショックな話だけど、わからないでもない。

80年代、私たちよりも上の世代ではIVYやPINKHOUSEが大流行していた。
当時は子供ながらに「へー、そういうんがあるんや」って思っていた。

自分がいざ大学に行く頃には、その辺りはすっかり影を潜めていた。

かわりにPaul Smith、BEAMS、TRANS CONTINENTS、SHIPS、などの
セレクトショップ店舗に人気が移っていた。
女子だとVIVAYOUやLOVEBOATなんかが流行っていた。

(非常に個人的な話になるが、BEAMSはあまり好きじゃない。
当時のショップ店員が、とてもスノッブに感じられることが多かった名残。
今でも選択肢から何となく外してしまう)

私はといえば、R.NEWBOLDやAgnes.bが好きだった。
過去形で書いたものの、今も好きではある…が

前者はブランドが既に終息。
後者は元々レディースの比率が高いことと、
シルエットがスリムでないと似合わないので、最近は距離感がある(笑)

現在隆盛を極めるファストファッションは、とりあえず着るものの扱いでしかなく、今のように高く評価はされていなかった。

という具合にブランドや製造元によって時代ごとの人気って変わってくる。

ハイブランドは自分に似合うかどうかで決めている


いわゆる、ハイブランドについては「好き好きに買って使えばよろし」と思っている。
が、ハイブランドって良くも悪くも存在感が強くて、バランスを取るのは難しくないですか?

例えば、私がルイヴィトンのど定番、モノグラムの長財布とか使っても、別に変ってほどでもないけれど…

昼飯時などに職場の方達と一緒にご飯行ったりしたときに
都度都度「へーこいつがヴィトン持ってんのね」って思われるでしょう。それがどうしたってことではないんだけど、同じ会社の職員の年収なんておおよそ想像はつくわけで。
なんか変な勘ぐりとかされるのも面倒じゃない?っていうのはある。

また、個人的にはすごくいいと思っていても、客観的にはおかしいっていう場面も出てくる。
例えば、ルイヴィトンのモノグラムの中でも、特にレディースに寄せたマルチカラーっていうラインナップがある。

モノグラム柄がカラフルになっていて、賑やかしいやつだ。

私はマルチカラーって無駄に元気が出てきそうな感じが好きで、
実は一時期、自分用の財布として本当に買おうとしたことがある。
家族からの猛反対で(まぁわからないでもない)実際には買わなかったのだが。モノ単品としていいということ、個人的に好き、というのとは全く別の軸として、自分のライフスタイルやキャラクターに合っているか?は重要なポイントだと思う。

うちの家族の持ち物を見渡すと、ハイブランド品を持っていないわけでもないけれど、全部それってこともないし、あまりこだわりもない。
私自身は、スーツやネクタイ、靴などをちょろっと持っている程度だ。
腕時計もブランド品を使っているわけでもないので、日常生活ではハイブランド品を身につけることはほとんどない。

モノについての捉え方が変わってきている


身も蓋もないことを言えば、モノに関しては従来までの「何を所有するか」よりも、「どんな生き方をしているか」を表現するツールになっているような感覚が個人的には強い。
(余談だが、スピリチュアル界隈的には「風の時代」とよばれる時代に移って数年が経過しており、「所有から有り様への変化」が人類に共通する価値観の変化、と言われている)

5年10年前なら、スタバでMacBookを開いてる人が珍しい(?)というので、「ドヤ顔でMac開いてる、意識高い系の人」の意味で「ドヤリング」なんて揶揄されてもいた。
まぁ確かに、ガジェットを持ち込んでいる人は今よりもはるかに少なかったけど。

私も前職で、たまに私物のVAIO持参でドヤリングをやることはあったが、スケジュール上、仕事が間に合わなくてやむを得ず、みたいな感じで全然かっこよくもなかった。
だけど、ドヤリングって言葉以上に、「PC持って行ってWIFI繋げば仕事など活動ができる」という感覚はやはり衝撃的だった。

今はもうスタバでPC開いてる人なんて珍しくも何ともない。
それがMacかどうかなんて、誰も気にしていないだろう
(実際にはWindowsPCの方が圧倒的に多い)。
それどころか、タブレットやsarfaceの方が割合多かったりすることもある。

なんてことを気にするまでもなく、今や高校生ですら1人1台、手元にスマホを持っている。

時代の移ろい、利便性の変化、人との関わり方の変遷などで、モノをどう扱うか、どう捉えられるかも変わってくる。

そういう具合で、今から先には「何を持っているか」よりも「どんな生き方をしているか」が見られるようになっていくのだろうし、その結果論としての持ち物になってくるのだろうなと、私は思っている。

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