入院34日目
とても静かな夜だった。
というのも、窓際の爺さんがイビキをかき始める前に眠ったため、そのあとの記憶がないからだ。先に寝たモン勝ちである。受験生も、しばらくはモゾモゾとしていたが、よく眠れただろうか。
例によって、10時入眠4時起床がサイクルとして定着できつつある。それからは朝の検温まで、夜勤看護師さんの巡回にも背を向け、ひたすら本に貪りついた。
制約が外れて「何時でも寝ていい」となると、むしろ人間の生活サイクルは正されていくのではないかと思う。なお、この際、体内時計が25時間とかいう話は一旦置いておく。
僕らがついつい夜更かしをしてしまうときは、大抵、翌朝が早かったり、翌朝に大事な用事が控えていたりする傾向にある。そういった背徳感や抵抗心から夜更かしをする、という経験は誰にも少なからずあるのではないだろうか。また、皆が寝静まっている環境も一種の優越感を与える作用がある。
しかしながら、何もない入院生活において、夜更かしをするメリットは皆無といえる。21時ぴったりに消灯し、テレビも消せと言われる。
ならば、早めに寝るのが一番いいな、という当たり前の結論に一周回って帰ってくる。なるべく起きてあれもこれもしたい、という意欲がなくなってくる。寝て起きてからやりゃあいいじゃん、と思う。もはや老後なのか。
もちろん環境や心理的な要因もあって、寝たくても眠れないことはあるけれど、人間というものは元来、「暇があったらしっかり寝る」ようにプログラムされているんだなと、この入院生活で気づかされた。
受験生も、昨日はよく眠れたという。
体調も落ち着いたようで、昼間も穏やかだった。利尿剤が効いているのかトイレにも頻繁に行くようになり、おかげで腹水も抜けてきているのだろう。
退院に向けてのリハビリとして廊下をウロウロしている彼と日中何度もすれ違う。
そのたびに、夕方には売店にいくのだと嬉しそうに報告してくれた。ここ数日はトイレに向かうのも億劫そうにしていたから、この回復ぶりには僕も感心していた。
また、僕と先生とのやりとりにも言及し、「(再来週に投与予定の)リツキサンは、個人的感想としては副作用が少なくて身体にも合っていたので、頑張ってください」とも励ましてくれた。
昼食後、猛烈な眠気に襲われ、起きがけの口は甘いものを欲していた。
なんとなく、脳に栄養が足りていない気がする。
これは言い訳かもしれないけれど、慣れない頭の体操や勉強をひたすら続けるあまり、常にガス欠で走っているような感覚をどこか抱いていた。それに体重がみるみる減って、ついには60キロを割ってしまったのも気になっていた。
甘いものを、摂りたい。
飴玉を舐めてこっぴどく叱られていた窓際の爺さんが過る。
だが、後々の供述で魔が差したとはいいつつも、一線を越える腹積もりというのはハナから固く決まっているものである。
ここはひとつ実験として、どのくらいで血糖値が上がるのか試してみようと、いつものコーヒー自販機で「バナナショコラ」を押してみた。
夕方の血糖測定でとんでもない値を叩き出したら、そのときは白状しよう。3時間後の話だから、大して影響もしないだろうとも高を括っていた。
あとから調べて分かったことなのだが、チョコレートやバナナはカリウムを多く含むため、腎臓病患者はなるべく控えたほうがいいらしい。
それでもたまに朝食で馬鹿でかいバナナが出てくるので、多量摂取がよくないという程度の緩い制約なのだろうけど、気を遣うに越したことはない。次から甘いものが欲しくなったら、ブラックに少し砂糖を入れるぐらいにしておこう。
誰もいない受付にどかっと座って一口目、思わずうげえと声が出た。
人口甘味料の、融通の利かない角ばった甘さで、ひたすら喉が痛い。それでも、身体は甘いものを求めているので、文句を言いながらもするすると入っていく。
17時ごろ、夕飯前の血糖測定では115で、正常範囲内。
いちおうドキドキしたが、特に問題は見られなかった。なんだ、当たり前か。
だが、これを機にエスカレートしていては治るものも治らないから、しばらくはこのぐらいで勘弁しておけと自らを戒める。
ちなみに、普段から血糖測定で200以上だとインスリン注射を受ける決まりなっているのだが、これまでで一度も受けたことはない。
さて、明日は二度目の抗がん剤投与。
またしても一日中点滴のお世話になる。その前に穏やかな休日を過ごせたと思う。
今日はちょっと雑になってしまったけど、M-1は毎年正座して観なければいけないので、このあたりで失礼します。では。
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