入院10日目
例によって3時ごろに目覚める。
昨日窓際に入院してきた爺さんは、朝から晩までずっと寝息を立てている。
何をやっているかは具体的には分からないが、腹部カテーテル?から廃液を出してまた何かを注入するらしく、おおむね腹膜透析のイメージで間違っていないと思う。入院は一泊で、今日の14時ごろ退院するとのこと。ならば…とも思わなくはなかったが、夕方にはまた新しい患者がきた。どうやら優先度的に窓際に移るのは無理だということが分かった。
6時半まで看護師の朝の検温などを待って、ベッドのうえでグダグダする。天気がいいよと家族からLINEがあったが、カーテンに遮られてなかなか見えない。
毎週水曜日はシーツの張り替えがあるらしく、昨日がその日で、野村沙知代みたいな老婦人がやってきた。そのおばさんは、幾多の寝返りを打たれてヨレヨレのシワシワになったシーツを見て「あらやだ、こんな仕事じゃ駄目ねえ」と吐き捨てた。ものの数分で仕事を終え、皴ひとつない完璧なベッドだけを残して去る後ろ姿はとても格好良かった。一晩過ごして眺めてみても、いまだにぴっしりと伸びたシーツに感動している。
なんだかんだかなり眠れた気がするので、なかなか体調はいいほうではあると思うが、幸か不幸か、もう無理ができない身体になってしまった。
食事は相変わらずペースを落とさなければ気持ち悪くなってしまうし、PC作業も30分毎に10分ほど休憩を挟まないと何も進められなくなってしまう。身体が入院を機にストライキを起こしているような感覚で、いままでだいぶ無理をさせてしまっていたのだと反省。ならば、こちらもそれに見合った稼働にシフトさせなくてはならない。
まず、食事中は目を閉じて、生産者の顔や食材が運ばれてくるまでの経緯を想像するようになった。今年は雨が多かったから収穫大変だったろうなとか、この鱈は元気に海を泳いでいたんだなとか。ありがとう、ありがとう、と傍から見ていると藤岡弘、みたいだがこれも良い機会だと思う。もともとは急いで食うと気持ち悪くなってしまうから仕方なく始めたことである。
入院中は、テレビもPCも、どうしても距離が近くなってしまい目が疲れやすいので、「蒸気でホットアイマスク」みたいなのがあるといいかもしれない。僕は持っていないので、濡れタオルを用意して、目の上に置いてしばらく仰向けになっている。これを一日のうちに数回繰り返す。
無駄なネットサーフィンをしない、というのも重要になってきた。すぐに限界がきてしまうので、元気なうちにあれも終らそう、これも終らそうと必死になっている。基礎体力ゲージが低いと日々の効率を考えるきっかけになるからむしろいいかもしれない。
14時ごろ、廊下が物々しい雰囲気に包まれる。手術着を身にまとった神妙な面持ちの先生とすれ違った。
どうやら腎生検は自分のベッドの上で行うらしい。
一時間後、同じところを通りかかるとすでに生検は終わっており、ベッドの上で半ケツを出してうつ伏せにぐったりしている患者の姿がちらりと見えた。腰のあたりには圧迫止血のための砂嚢が載せられている。
ちょうど来週の12月2日に腎生検が行われる予定になっている。あれが一週間後の自分の姿か、と震えた。
一瞬だけ誰もいなくなった窓際を占拠して、遠くを眺める。確かに、今日は雲ひとつない晴天だった。
飛行機が頭上を越えていくのを見ていたら、青い空をうじゃうじゃと飛蚊症がひどい。元気に動き回る精子を顕微鏡で覗いているみたいだ。
血液検査の値も大きな動きはなし。化学療法でもすぐにガクンと効果が得られるものではなく、それゆえ長期戦になるとのこと。回診もとくに言うことがないからか手短で、看護師さんに尿記録の紙が埋まったので新しい紙くださいとお願いしても、後回しにされてなかなか渡されない。手元のメモに書いているから別にいいけれど。
窓際の患者のその腹に繋がっているという管を引き抜けば、全身の老廃物が排泄できず、やがて尿毒症になって死ぬのだろうか。
他人のことは言えないが、彼は何をもって腎不全になったのか。遺伝なのか、糖尿病なのか、やむを得ない理由なのだろうか。やむを得ない場合は仕方ないが、透析はお金も時間も、人生の大半を奪われるもの。それははたして因果応報なのだろうか。
そんな、ゾッとするようなことをたまに考える。あらぬ哀しみを生むし、なにより楽しい話じゃないからやめた。
たとえ明らかな過失があったとしても、過去の過ちと向き合い生きていく姿勢は必要だと思う。僕も日々、過去と尿量を検証しながら地味に生きている。
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