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夏の亡霊は美少女だった 第十三話

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 高木という男を訪ねようと決めていた土曜日の朝。公太は、目が覚めてから身体の重さを感じていた。頭痛がして、頭や肩、腰が重くなったような感覚を覚える。

 夏風邪でも引いてしまったかと思ったが、朝食を摂ったり歯を磨いたりしているうちに、いつの間にか頭痛や身体の重さは消えていた。

「おはよう」

 いつの間にか現れたヒナが、公太に挨拶した。公太も、それに応えた。

「おはよう。なんだか、緊張するな」

「そう? あたしは別にしないけど」

「まあ、ヒナは別に何もしないもんな……」

 日奈子という本名を知った公太だったが、その名前で呼んだほうが良いのか、と聞いてみたところヒナはそれを拒絶した。『子』が付く名前が古臭くて好きではなかった、とのことだった。生前も、親しい友人などにはヒナと呼んでもらっていたらしい。本人が希望するなら、公太にそれを断る理由はなかった。

「高木さんは、日中も家にいるんだよな?」

「たぶんいると思う。特に趣味とかなさそうだったし」

「そっか。んじゃ、昼飯食ったら出かけるか」

「うん」

 自分で言った通り、公太は緊張していた。知らない誰かの家を訪問するなど、大学に入ってから初めてのことだ。慣れないことをしなければならないというのは緊張するものである。

 部屋に丁寧に掃除機をかけたり、洗濯物を干す時にシャツを叩いてシワ伸ばしをするなど、普段やらないようなことをして時間を潰した。その様子を見てヒナは笑っていたが、公太はそれどころではなかった。

 一通りの家事を終えてしまうと、暇をつぶすことがなくなった。無駄にマンガなどを読もうとしたが、何度も読んだマンガは一冊を一瞬で読み飛ばしてしまうのだった。

 仕方なく早めの昼食を摂ると、公太は出かけることにした。

「まだ早いんじゃない?」

「いや、まあ……移動時間だってあるし、今から行けばちょうど良いくらいでしょ」

 笑いながら指摘するヒナに、言い訳じみた説明をする公太。だが実際、家を出てバスに乗って知らない家を訪問する、となれば、昼食時が終わるくらいのちょうど良い時間に着く見込みだった。

 公太は前日に準備を終えていたカバンを持つと、家を出た。カバンの中には、ヒナの伝言や行き先の住所が書かれたメモと、地図が入っているはずだ。念のため家を出る前にカバンを開けて中身をチェックすると、確かに忘れ物が無いことを公太は確認した。

「念入りだねー」

「まあ、な」

 ただの緊張の表れだったが、支度が万全であることを確認すると、公太は少しだけ安堵した。

「んじゃ、行くか」

「はいはーい」

 軽い口調で言うヒナと共に、公太は出発した。

 バスに乗っている時間は、20分くらいだった。乗ってから降りるまで、公太は一度も口を開かなかった。ヒナも公太に気を遣ったのか、特に話し掛けてくるようなことはせず大人しくしていたが、次第に自分の知っている景色が見えてきたのか、窓から外を眺めて懐かしそうな顔をしていた。

 バスを降りてから高木の家までは、歩いて5分くらいの距離だった。公太にとっては初めて訪れる慣れない土地だが、ヒナにとっては慣れ親しんだ土地だ。懐かしい景色のせいか多少寄り道をしていたようだったが、高木の家まではすぐに到着した。バスに揺られている間に緊張も収まっていた公太は、落ち着いて高木の家の前に立った。

「でかいな」

「そだねー」

 高木の家は二階建ての一軒家だった。生け垣に囲まれた敷地の外から、建物の入り口までそれなりの距離がある。周辺に建ち並んでいる家々と同じくらいだが、どの家もそれなりに大きくて、金持ちの住宅街という印象だった。ヒナもこの近辺に住んでいたということは、いいとこの人間だったのだろうか。公太はなぜか引け目のようなものを感じるのを自覚した。

「それじゃ、行こうか。車あるし、たぶん家にいると思う」

 駐車場のほうを指し示しながらヒナが言う。公太には車種がよくわからなかったが、セダンタイプの車が一台停まっていた。

「行くか」

 公太は自分を励ますように呟くと、敷地に足を踏み入れた。

 玄関の前まで来ると、公太は足を止めた。一度だけ深呼吸をして、インターホンを押す。チャイムの音が鳴り響き、そのまましばらく公太は反応を待った。

「出ないな」

「出ないね」

「いないのかな」

『はい』

 公太とヒナがやり取りをしていると、インターホンのスピーカーから男の声が聞こえてきた。これが高木だろうか、と思って公太がヒナを見ると、ヒナは一度頷いた。

『どちらさまですか?』

「あ、すみません。私、萩原という者なんですが」

『えっと……何の御用でしょうか?』

「高木さん宛に、水木日奈子さんから伝言を預かってまして」

『みず……え?』

 公太の言葉を聞いて、インターホンの向こうの声は驚いたような声を上げた。

『いまなんて?』

「水木日奈子さん、からの伝言です」

 公太が名前の部分を強調して言うと、高木は黙り込んだ。何かを考えているのかもしれない。だが、それも当然の話だ。ヒナの親しい知り合いだったというのであれば、水木日奈子という人間が故人であることも知っているはずである。

『ちょっと……今出ますんでお待ちください』

「はい」

 ブツ、という小さい音を鳴らして、インターホンからの音声が切れる。電話機のようなタイプなのだろうか。それなら、高木からは公太の姿が見えていなかったかもしれない。

 家の中でバタバタと物音がした後、少しして玄関ドアからは内側から鍵を開ける音が聞こえた。ドアを開けて出てきたのは、30代くらいと思しき華奢な男性。それが高木大助という男らしかった。

 高木は公太の顔を見ると、驚いたように目を大きく開いた。

「まあとりあえず、ドアの内側入って。外の空気入ってくるし」

 訪問者がまだ若い男だと知ったからか、高木は丁寧語をやめて言った。

「はい」

 返事をしながら公太が家の中に入ると、内側は冷房が効いていて涼しかった。

 公太はドアを閉めると、そのまま玄関に立った。家に上がり込むつもりはなかったし、高木も招き入れるつもりがなさそうだった。ヒナは既に廊下のあたりまで入り込んで中を覗き込んでいたが、それは気にしなくても良いだろうと思った。

「あんた……何者なんだ? 日奈子の知り合いなのか?」

 高木は、気味の悪いものでも見るような目で公太のことを見ながら言った。

「えっと、知り合いというか……友人みたいなものです」

「友人? あんたが、日奈子と?」

「あ、はい、そうです」

「そんなバカな……君、今何歳?」

「二十歳です。大学生です」

「それで、日奈子の友人?」

「はあ……俺と同い年か、少し歳下くらいだと思ってたんですけど……」

「そんなわけないだろ。日奈子のことをどこで知ったんだ? 悪戯なら帰ってもらうよ?」

 公太はどう話せば良いのか迷ったが、いつのまにか近くまで近寄ってきていたヒナが公太を見ていることに気付いた。

「コウちゃんコウちゃん、話はいいから伝言、伝言」

「あぁ、そっか……えっと、信じてもらうかどうかは置いとくとして、日奈子さんから伝言を預かってるんです。なので、とりあえずそれだけ言わせてください」

「まぁ……別にいいけど……」

 高木は相変わらず気味の悪そうな表情だったが、渋々といった口調で了承した。

 公太は肩から下げていた鞄を開けると、書類ケースからルーズリーフを取り出した。そして、咳払いをひとつしてから、メモを読み上げた。

 

  大助さん。お久しぶりです。

  ビックリするかもしれませんが、死んでも死に切れない想いで、この人に伝言をお願いしました。

  あらかじめ言っておくと、この人は本当に何も知らないので、責めないであげてください。

  私が死んでから、何回お墓参りをしてくれましたか?

  大助さんは、そんなに冷たい人だったでしょうか。たまには、顔を見せてくれても良いんじゃないですか?

  いずれまた、会いましょう。先に行って、待ってます。

 

 自分自身のことを『この人』などと言うのはいささか変な気分だったが、ともかく公太はメモを読み終えた。

「そんなバカな……」

 ヒナの伝言を聞いた高木は、血色の悪くなったような顔で呟いた。

「ありがとうね、コウちゃん。それと、ごめんね」

 公太は、ヒナの声を聞いた。だが、メモを読み上げている間にどこかへ行ったのか、ヒナの姿は見当たらなかった。

 だが次の瞬間、公太の視界は歪んだ。全身が急に重くなったような気がする。

 ひどい目まいのような感覚に公太は呻きそうになったが、息ができず声も出せなかった。

(なんだ……これ……?)

 公太は心の中で呟いた。意識はあるが、身体の自由が全く利かない。それはまるで、バイクで事故に遭う直前と同じような状態だった。

『ダイスケさん』

 公太の口が、言葉を発した。普段の公太の声よりもだいぶ高い、上ずったような掠れた声。もちろん、公太はそんなことを言ったつもりはない。身体だけが、自分の意思とは裏腹に勝手に動いているのだった。

 公太は目を動かして周りを見ようとしたが、それすらもできない。目を動かすことすらできなかった。自分の意思と肉体との乖離。気持ち悪さがこみ上げたが、いったいどこに何がこみ上げているのかすらわからず、ただただ気持ち悪さだけが募るばかりだった。

『ちょっとこの人の身体を借りたよ。久しぶり、大助さん』

 先ほどよりもだいぶ低い声で、公太の口が言う。いや、公太はもう気付いていた。これは、ヒナだ。ヒナが公太の身体を動かしているのだ、と思った。

 まるで映画で一人称視点のシーンを見ているような感覚。だが、首根っこを掴まれて全身を固定され、指一本、眼球すら動かすことができない状態で見せられているようなものだった。

「え……おいキミ、大丈夫か?」

 青ざめた高木が声を掛けてくる。まるで気持ち悪いものでも見るような目をしていた。公太は、いったい今自分の顔はどんな表情をしているのだろうか、と思った。だが、何も感じられない状態ではわかるはずもなかった。

『一発、殴らせてほしいんだ』

「は? なに言って……」

 高木の言葉は、物理的に遮られていた。既に公太の右拳が、高木の側頭部を殴りつけていた。あるいは頬を狙って放たれた拳だったのかもしれなかったが、公太の拳は高木の耳の上あたりを捉えていた。

 玄関脇にあったスリッパ掛けを倒して、派手な音を立てながら高木が転がる。殴った勢いのためか、公太の身体もバランスを失って廊下に倒れ込んでいた。

 ヒナは加減を知らない力で、思い切り殴ったらしかった。意識だけの公太も、拳に鈍い痛みを感じた。身体の自由が効かず、強制的に映像を見せられている気分になっていた公太は、その痛みにハッとした。

「おっ、おまえ、いきなり何するんだ!」

 床に手をついて立ち上がろうとしながら、高木が怒声をあげた。

『渡したいものがあるから、ちょっと待ってて』

 ヒナは公太の口で喋ると、もぞもぞと這って、玄関に落ちていた公太のカバンに近寄って中身を漁っていた。

「なにが待ってだ、おまえどういうつもりだ!」

 高木は公太に近寄ろうとしていたが、ふらついて足元がおぼつかないようだった。その間にヒナはカバンの中から筆入れを探り当てると、中からカッターナイフを取り出していた。

「お、おい、なんだ!」

 高木の声を意に介さずに、立ち上がって音を立てながらカッターの刃を伸ばすと、ヒナは振りかぶってからカッターを振り下ろした。だが、高木が尻もちをつきながら後ろに飛び退いたため、カッターの刃は空気だけを切り、床にぶつかって折れた。刃は半分くらいの長さになっていた。

(やめろ、やめろヒナ!)

 信じられないような光景を見せつけられていた公太は、意識だけの状態で叫んだ。

(ヒナなんだよな?! やめてくれ!)

(許せない)

(落ち着け、冷静になれ!)

(わたしは死んだのに)

(やめろって! お願いだやめてくれ!)

(なんであんただけ)

 公太は、頭の中に流れてくるヒナの声を聞きながら叫び続けていた。だが、ヒナは聞く耳を持たず、その叫びは虚しく響くだけだった。

 主導権をヒナが握った公太の身体は、刃の折れたカッターナイフを少しの間眺めていたが、やがて手の中でカッターを回転させると、逆手に持ち直した。そして廊下の中まで踏み込むと、今度は切り付けるのではなく、突き刺すような形で刃を振り下ろそうとした。

「この野郎!」

 尻餅をついた格好のまま後ろ手に床に手をついていた高木はそう叫ぶと、公太のみぞおちのあたりを蹴り上げた。バランスを失った公太の身体は、二、三歩よろめいてから壁にぶつかり、後ろに倒れ込んだ。その拍子に、カッターナイフは手からこぼれ落ちていた。

 公太はいまだに意識だけの状態ではあったが、全身の痛みを感じた。高木のことを殴った痛み。腹を蹴られた痛み。壁に衝突し、倒れ込んで床に身体を打ち付けた痛み。公太は、自分の身体の感覚が戻りつつあることを感じていた。

「やめ……ろ……」

 公太は、自分の口から自分の言葉が発せられたのを聞いた。ついに、身体の自由が戻ってきていた。

「やめろ……ヒナ、やめろ……」

 いつの間にか、ヒナの声は公太にも聞こえなくなっていた。それでも公太は、うずくまったまま呟き続けた。

 肩で息をする高木の荒い息遣いと、公太の呟きだけが響いている。

 公太の両目には、涙が溢れていた。公太が流した涙なのか、ヒナが流した涙なのかはわからなかった。

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