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夏の亡霊は美少女だった 第十四話

  ***

「あんた、なんであんなことしたの」

 警察署から出ると、公太の母が公太に向かって言った。外はもうすっかり暗くなっていた。

 結局、高木の通報を受けて駆け付けた警察に、公太は連行された。既に大人しくなっていたため手錠をかけられるようなことはなかったが、公太は警察署で事情聴取を受けた。

 連絡を受けた両親は、急きょ実家から出てきて警察署に顔を出した。その日のうちに出られたのは、両親のおかげだった。

「俺の意思じゃないんだ……身体が勝手に……」

「……やっぱり、事故で頭を打ったのがよくなかったんじゃないか。何か後遺症が残ってるんじゃないのか」

 虚ろな様子で同じことを繰り返す公太を見て、父親が言った。

 公太には、何も言えなかった。事故の後遺症のせいだ、と言えばその通りなのかもしれない。事故をきっかけにして、ヒナという幽霊と出会った。そして、ヒナが勝手に身体を動かしたのだ。

 聞いたところによると、幸い高木は重い怪我などは負っていないらしく、たんこぶができた程度とのことだった。公太の右手はまだズキズキと痛みを発していたが、当たりどころが良かったらしい。

 高木次第では裁判になる可能性もあったが、高木にはその気がないらしかった。我に返った公太の様子を見て憐れに思ったのかもしれないし、水木日奈子という名前を知っていたことも一因かもしれない。ともかく、公太は二度と家に近付かないでほしい、とのことだった。もちろん、公太には再び高木の家に行くつもりなどなかった。

「とにかく、もう一度病院に行って検査してもらいなさい」

「うん……」

 父親の指摘に、公太は頷くことしかできなかった。

 短期間の間に二度も上京させられた両親は、夏休みは帰省しなくても良いから、と言って帰っていった。二度も顔が見られれば充分だ、と口にしていたが、ともすれば両親も公太のことを気味悪がっていたのかもしれなかった。そして、そういう発想を抱いてしまう自分自身に、公太は自己嫌悪するのだった。

  ***

 携帯電話を開く。見慣れた待受画面。不在着信も、新規の受信メールも無い。部屋の中が、やけに広く感じられた。見回しても、ヒナの姿は見えない。

 高木の家を訪ねた日から、ヒナは完全に姿を消した。声は聞こえず、気配も感じない。公太の身体を使って高木に一発浴びせたことで、満足して成仏してしまったのかもしれなかった。

 結局、ヒナの未練が何だったのか公太にはよくわからないままだった。ヒナが公太の身体の自由を奪った時、公太にはヒナの言葉が聞こえた。だが、なんとなくヒナが高木のことを恨んでいそうだ、ということくらいしかわからなかった。

 一度、病院に行って精密検査も受けた。入院していた時と同じく、何も異常は見つからなかった。

 ヒナはただの幻で、公太はずっと幻影を見ていただけなのではないかと疑ったこともあった。だが、ただの幻と呼ぶには、ヒナはあまりにも自分の考える幽霊像とはかけ離れた存在だった。

「……墓参りにでも、行くか」

 やることのなくなった公太は、思い立ってヒナの墓へと向かうことにした。

 冷静に考えれば、公太には墓参りをするような義理はなかった。おそらくヒナは、公太の身体を利用して私怨を晴らそうとしていただけなのだ。恨む理由はあっても、弔う理由はない。

 それでも、なぜか公太は墓参りしたほうが良いのではないか、という気持ちがあった。拝んでおかないと、成仏し切れないのではないか、と思ったこともある。

 家を出てバスに乗り、ヒナの住んでいた地域へと向かう。数回程度しか乗っていないバス路線だったが、強烈な記憶と紐付けられた景色は、公太にとっては馴染み深いものに感じられた。

 バスを降りて、墓地へと向かう。途中、迷ったらしい人に道を尋ねられた。

「すみません、俺、この辺の人間じゃないので……」

 公太はそう言って断った。ヒナに引きずられ、やたらと人助けをしていた頃の記憶が呼び起こされた。

 今日も空は晴れ、焼くような日差しが肌を刺していた。バス停から歩いて墓地に着く頃には、公太の額には汗が滲んでいた。

 桶に水を汲み、柄杓を片手にヒナの墓へと向かう。そこかしこから、線香の香りが漂ってくるようだった。いつの間にか、墓参りの時期になっていた。

 公太は立ち並ぶ墓の間を歩いていくと、先客がいることに気付いて足を止めた。公太の視線の先には、線の細い華奢な男性。ヒナの墓前にいるのは、高木だった。

 離れたところで公太が立ち止まっていると、高木もこちらに気付いたようだった。高木が警戒するような表情になるのを見ると、公太は手に持っていた桶と柄杓を地面に置くと、両手を挙げて首を左右に振った。危害を加えるつもりはない、という意思表示のつもりだった。

 高木は公太の仕草を見ても警戒した表情のままだったが、しばらく様子を見た後、急に頬をゆるませて吹き出した。そして、高木のほうから公太に歩み寄ってきた。

「あの時とはまるで別人だな」

 若干の警戒感を滲ませながらも、高木は公太に話し掛けた。

「ホント、すみませんでした」

「まあ、そうだな……今日は、日奈子の墓参りか?」

「はい、そのつもりで来ました」

 公太はそう言うと、先ほど置いた桶と柄杓を拾い直した。高木の後ろについて、ヒナの墓前まで歩いていく。

 ヒナの墓には、高木が用意したものだろうか、花が添えられていた。墓石の周りが湿っているところを見ると、高木は墓参りを済ませた後のようだった。

 高木は公太に向かって、促すような目配せを送った。それを受けて公太は、墓石に水を掛けてから手を合わせた。成仏してくれよ、と心の中で思いながら、拝んだ。

「君は……日奈子と話をしたのか?」

 しばらく経って、顔を上げた公太に向かって、高木は話し掛けた。

「はい。ちょっと前に交通事故に遭ったんですが、その時からヒナ……日奈子さんの姿が見えて、会話ができるようになりました。今はもう、見えなくなりましたが」

「交通事故……か」

 高木は何か心当たりのあるような雰囲気で呟いた。だが、それを公太に説明するつもりはないようだった。

「えっと……信じてもらえないかもしれないですが……」

「信じざるを得ないよ。あんな様子見せられたらさ」

「え?」

 公太が高木の家を訪れた時のことを言っているのだろうか。

「顔も知らない君が、僕や日奈子の名前を知っていた。驚いたよ。日奈子の友人が、こんなに若いわけがないのに」

「……若いわけがない、とは?」

「君、日奈子から聞いてないのか?」

「どういうことでしょうか?」

「日奈子は僕と同い年だったんだよ。それで、8年前に亡くなった。27歳のときだったかな」

「えっ……」

 高木の言葉をそのまま解釈すれば、もし生きていれば現在は35歳ということになる。8年前といえば、亡くなったときは公太は12歳。たしかに、友人と名乗る人間がこんなに若ければ、怪しむのが当然だった。

「高木さんは、日奈子さんとはどういう関係だったんですか? 同僚とか、同級生とか?」

「どういう関係、って……妻だよ」

「……は?」

「いや、君……もしかして、本当に何も聞かされてなかったのか?」

 公太は、まるで理解が追いついていなかった。たしかにヒナは、自分よりも歳上だと言っていた。だが、さほど自分と変わらない歳だろう、と勝手に想像していた。実際は、自分よりも15歳も歳上だったうえに、結婚までしていたということになる。

「でも、名字が違いませんか?」

「水木は、日奈子の旧姓。で、このお墓は日奈子の家の墓。分骨したんだよ、まだ子供もいなかったし」

「ってことは、本当は高木という名字だったんですか?」

「そう。だから、君が「水木日奈子」って名前を言ってきた時は本当に驚いた。旧姓を知ってる人間なんて、限られてるから」

「……」

「その様子だと、日奈子は何も説明してなかったんだね……」

「全然聞いてませんでした。それに、見た目も俺と同い年くらいでした」

「……あいつは、一人じゃ何もできないくせに見栄っ張りだったからな」

 公太は高木の言葉に、引っ掛かりを覚えた。なんとなく、ヒナのことを蔑むような響きを感じたのだった。

 それはともかく、公太にはまだ疑問が残っていた。ヒナが高木を襲った動機。もう高木には近付かないという約束は守るつもりでいたから、聞くなら今しかないだろう、と公太は思った。

「その……日奈子さんは、なぜあんなことをしたのでしょうか」

「あいつは、交通事故で死んだんだ」

「え……」

「一緒に車に乗ってる時だったんだけどね。運が悪かった。僕だけが、生き残ってしまった。それで、僕のことが許せなかったんじゃないかな」

 公太は、ヒナに身体の自由を奪われた時に聞いた声を思い出した。たしか「なんであんただけが」と言っていたような気がする。高木だけが生き残ったことが許せなかった、ということなのだろうか。

 いまだにわからないことばかりだったが、ヒナが大事なことはほとんど自分に喋っていなかったのだ、ということだけはわかった。何が本当で何が嘘なのか、全くわからない。公太が今わかるのは、『わからない』ということだけだった。

「なんだか、悪かったね。個人的ないざこざに巻き込んじゃような形になっちゃってさ」

「いえ……」

 まるで上辺だけのような声で謝る高木に、公太はあいまいに返事をした。

 単に、高木だけが生き残ったことがヒナの未練ではないような気がしていたが、これ以上聞いても意味がなさそうだ、と思った。

 もう用事は済んだし、公太は退散しようと桶を手にしようとしたが、その瞬間、身体が動かなくなるのを感じた。

(あっ……)

 もう何度も経験した感覚。視界が歪み、頭が重くなる。

 公太の身体はゆっくりと顔を上げると、高木のほうを向いた。

 視線すら自由にならず、まるで無理矢理映画を見せられているかのような、強制的なカメラワーク。

 またか。公太はそう思ったが、既に手遅れだった。身体の自由は、奪われていた。

『待ってたよ、大助さん』

 遠のく意識の中で、公太は自分の口から発せられる声を聞いた。

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