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夏の亡霊は美少女だった 第八話

  ***

「いやー、暑そうだねえ」

「……暑いよ」

 周囲の目を気にして、下を向いたまま公太は答えた。

 ヒナの言う通り、外は気温が高く、じっとしているだけでも汗が出てきそうなくらいの暑さだった。それなりに風が吹いていて、日陰を選んで歩けばそれなりに快適なのが、せめてもの救いだった。

 いっそ少しくらい雨でも降ってくれたほうが涼しくなりそうなものなのに、と公太は思ったが、空はほとんど雲のない晴天で、とても天気が変わるようには見えない。暑さを全く感じていない様子のヒナが羨ましかった。

 家を出てから公太は、みやたサイクルへ行った時の道とは逆方向に歩き、適当に道を選びながらぶらついていた。

 ヒナはといえば、公太の後ろに付いてきて周りを見回したり、公太の前に出てくるくると回ってみたり、興味を惹かれたものを見に行って戻ってきては公太に話し掛けたりと、自由に動き回っていた。

 子供っぽくはしゃぐ様子は微笑ましくもあったが、公太は暑さにうんざりしていることもあって、気のない返事を繰り返すのみだった。

「ねーねーコウちゃん、なんかもっと面白いとこないかな?」

「……面白いとこ?」

「だってさ、さっきから家と公園くらいしかないんだもん」

「そりゃ、住宅街だし……」

 ボソボソと呟きながら、公太は近所に何があるかを思い起こしていた。商店街は逆方向だし、学校に行ったところで部活動やらサークル活動している学生がいるだけだろう。ヒナならそれも面白がるかもしれないが、なんとなく知り合いと顔を合わせたりしたくない気分だった。

「あのー、すいません」

「え?」

 下を向いて歩いていた公太は、いつの間にか人が近付いてきていたことに気付いていなかった。すぐそばに、年の頃は40くらいだろうか、恰幅の良い男性が立ってこちらを見ていた。公太は自分のことを指差しながら聞いた。

「俺ですか?」

「はい。他に誰もいませんけど……」

「あ、ああ、たしかに」

 挙動不審気味になりながら公太が振り向いてみれば、ヒナは少し離れたところで民家の生け垣を覗き込んでいた。公太が前に向き直ると、男性は口を開いた。

「えっと、ちょっとお尋ねしたいんですが……この辺に大きな川とかありますよね?」

「あー、ありますね」

「ですよね! その河川敷に行きたいんですけど、どっちのほうですかね」

「あぁ、それならそこの角を曲がって信号にぶつかったら、左に曲がってずっとまっすぐ行けば見えますよ」

「なるほど! ありがとうございます」

 最短ルートではなかったが、公太がわかりやすい道を伝えると男性は振り返って歩いていった。歩いて行く先を見れば、少し離れたところに家族グループと思しき老若男女がたむろしていた。男性は集団に混ざると、だいたい合ってたとか、いやいやお前が間違ったんだろう、などと仲間と言い合いながら歩いていった。夏休みのレジャーか何かかもしれないと思いながら、公太はそれを見送った。

「ふーん?」

 声がしたので振り向くと、すぐ後ろにヒナが立っていた。公太は周囲に人の姿が見えないことを確認すると、ヒナに話し掛けた。

「なんだよ」

「コウちゃんて優しいんだね!」

「いや、んな大げさな。道を聞かれて答えるくらい、当たり前でしょ」

 呆れたように答える公太に対して、ヒナは真面目な顔で言った。

「全然、当たり前なんかじゃないよ。誰にでもできることじゃないんだから」

「そうかなあ……」

 実感は湧かなかったが、ヒナの顔は冗談を言っているようには見えなかったため、公太はそれ以上の反論はしなかった。

「それよりさ、さっき話してたけど、近くに大きな川があるんだね?」

「あー、うん、そうだね」

「それじゃあさ、行ってみようよ!」

「別に面白い場所じゃないぞ? 草野球やってたりとかそれくらいのもんだし」

「住宅街よりはずっと良いかも」

 言われてみれば確かに、生け垣やブロック塀の続く道を歩くよりはずっと面白みがありそうな気がした。

 先ほど道を教えた家族と鉢合わせるかもしれないが、それでも大学に行くよりはマシかもしれない。ヒナが満足してくれるなら、それも良いかと思った。

「それもそうだな。じゃあ、ちょっと行ってみるか」

「やった」

 公太が承諾すると、ヒナは語尾に音符でも付きそうな調子で声を挙げた。公太が歩き出すと、ヒナはスキップでもしそうな軽快な足取りで付いてきた。足音さえ聞こえてきそうな様子に、公太は苦笑した。むしろ、足音が全く聞こえないことに違和感を感じるくらいだった。公太はあらためて、ヒナが幽霊であることを認識させられていた。

「なに?」

 歩きながら、公太が横目で眺めていることに気付いたヒナが尋ねた。

「ヒナってさ、ずっと歩いてるよね」

「そりゃあ、歩くよ。なんで?」

「宙に浮いたりしないの?」

 公太は率直な疑問を口にした。幽霊なのだから、空くらい飛べるものだと思った。暑さや風といった物理的な影響を受けていないのだから、空くらい飛べても不思議ではない気がする。もし飛べるのなら、そのほうが景色も楽しめるのではないかと思った。

 だが、ヒナは目を丸くして驚いた様子で答えた。

「たしかに……」

「いや、なにが?」

「たしかに、空くらい飛べそうな気がする!」

 ヒナの言葉を聞き、公太はがくりと肩を半分落とした。どうやら、飛べるかもしれないと考えてすらいなかったらしい。

「でもさ、空ってどうやって飛ぶの?」

「そんなこと、俺に聞かれてもな」

「そうだよねー。コウちゃん生きてるもんね」

「お、おう」

 たしか初めの頃のヒナは、死んでいることを口にするのを避けていたような気がしたが、心境の変化でもあったのだろうか。公太は生きているから、と明確に口にするヒナに、公太は若干たじろいだ。

 そんな公太を尻目に、空を見上げて歩きながら考え込む様子のヒナだったが、ピンと来ない様子だった。

「やっぱりわかんないや。もともと人間なんだし、死んだからって飛べるようになるのはおかしいでしょ」

「そりゃそうだけど……夢のない話だな」

「それにあたし、高所恐怖症だしさ」

「いやいや、意味わからんよ」

 既に死んでいる人間に恐怖も何もあったものか。そう思ったが、公太は言葉にすることは避けた。

「別に飛べなくても困らないし。歩いてて疲れるわけでもないからさ」

「……」

 公太は足を一瞬だけ足を止め、手の甲で額の汗を拭ってから再び歩き出した。

 死ぬのは御免だが、暑さに汗を流している今、いくら歩いても疲れないというヒナに、どうしても羨ましいという気持ちを抱かないわけにはいかないのだった。

  ***

 エアコンの電源を入れてから台所の流しで顔を洗い、居室の窓際まで行ってカーテンを開け外の景色を眺める。それは、公太の寝起きのルーチンワークだった。

「あー、なんか疲れがとれねえな」

 両腕を挙げて背中を伸ばしながら、公太はつぶやいた。病み上がりで歩き疲れたのか、長いこと眠ってしまった。妙に肩が重いような気がしていた。

 窓の外では、すっかり昇りきった太陽が燦々と輝いている。壁越しに熱された室内の空気を、エアコンが冷やしてくれるのが待ち遠しかった。

 昨日は河川敷に行ったあとは、川沿いの遊歩道をひとしきり歩いてからスーパーに寄って帰ってきた。途中、公太に川までの道を尋ねらてきたファミリーともすれ違ったが、お互いに会釈した程度だった。

 帰宅して外が暗くなってからしばらくすると、いつの間にかヒナの姿は見えなくなっていた。正確に時間を確認したわけではないが、決まった時刻に出たり消えたりしているわけではなさそうだ。

「おはようー、よく眠れたみたいだね?」

「あぁ、おはよう」

 後ろから声を掛けられ公太が振り向くと、ヒナが座卓の横に座っていた。テーブルに肘を乗せて身を乗り出すような姿勢になっている。

「ねえねえ今日ってさ、彼女ちゃんとデートするんだよね?」

「うん、まあそうなんだけど……」

「美雪ちゃんだっけ? どんな子かなー、楽しみだなあ!」

「いや、別にヒナに会わせるのが目的じゃねえし……紹介しないぞ?」

 やけに浮かれ模様のヒナを見て、公太は呆れ顔になった。

 携帯電話を開いてメールを見る。美雪からは空港で見送る時に撮ったらしい、お姉さんとのツーショットの写真が送られてきていた。美雪も体格の良いほうだったが、お姉さんのほうはさらに大きく、はっきり言ってふくよかだった。そういえば前に写真で見た時も、美雪がもし太ったらこんな風になるのかな、と思ったことを公太は思い出した。

 公太は台所で顔を洗ってから、部屋へ戻ると昨日のうちに買っておいた菓子パンを齧った。いつも朝食はパンを食べている。気が向いた時にヨーグルトなんかを足すくらいのものだ。簡素な食事を終えると歯を磨き、また部屋に戻る。家を出る時間まではまだ余裕があった。

「コウちゃん、今日は何着ていくの?」

「何って、服?」

「うん」

「別に、いつも通りだけど」

 楽しそうに声を弾ませて聞くヒナに、公太はそっけなく答えた。だが、公太の答えを聞いたヒナはあからさまに不愉快そうな表情になり公太を咎めた。

「ダメだよそういうのは。せっかくのデートなら、ちゃんとした格好しないと」

「いや、ちゃんとした、って言ってもな」

「ちょっとさ、コウちゃんどんな服持ってるのか見せてよ」

「えぇ……」

 公太は不服そうな声を出したが、渋々クローゼットを開けるとハンガーにかけている服をベッドの上に広げた。

 公太が持っている服の種類はそれほど多くない。ジャンパーやジャケット、トレーナーにパーカー。そのうちの1枚を指差しながら、ヒナが言った。

「これなんかいいじゃん、このジャケット。これと適当なシャツとかさ。チノパンとか持ってないの?」

「ないこともないけど……いや、ジャケットは無理でしょ」

「なんで?」

「なんでって、いま真夏だよ?」

「あっ」

 ヒナが声をあげた。気温を感じられないせいか、季節のことを完全に忘れていたらしかった。公太はヒナの様子に、思わず吹き出した。

「ていうかこれ、全部夏に着るような服じゃないじゃん! なんで出したのさ?」

「いや、見せろっていうから……」

 公太はベッドの上に広げた衣類をクローゼットに再びしまい込みながら、結局はTシャツくらいしか着ていけるものはないよなあと思った。

「シャツ1枚って言ってもさ、寝間着に着るのと外に出かけるのに着るのとじゃ違うわけじゃん? どんなシャツ持ってるの?」

「えぇ……」

 暗にシャツも見せろというヒナの言葉に、またしても渋々といった声を出しながら、公太は衣装ケースから何枚かTシャツを引っ張り出してベッドの上に広げた。

 明るい色のシャツは少ない。というより、ほとんどが黒や紺色の暗色系のものだった。こうやって並べることはほとんど無いが、あらためて眺めてみると黒っぽいのばかりだな、と公太は思った。そういう色の趣味なのだからラインナップが偏るのは当たり前だが、この時期に黒っぽい服ばかり並んでいるのは暑苦しかった。

「うーん、黒い」

 思わず口から漏れた、といったような口調でヒナが言った。

「ね、これなんか良いんじゃない?」

 そう言いながらヒナが指差したのは、白い生地に黒い文字で英文がプリントされたシャツだった。筆記体で書かれていて何が書かれているのか公太にはよくわかっていなかったが、Tシャツにプリントされる文章に意味など無いだろうと思っている公太は、特に気にしていなかった。

「あんまり着たことないやつだな、それ」

「え、そうなの?」

 ヒナは意外そうな顔をした。

「たしか、美雪にもらったやつだ」

「え? なんでそれを先に言わないの?」

 ヒナは公太の目の前まで近付いて、顔を近付けながら言った。そして、白いTシャツを何度も指で指し示しながら続けた。

「それ大事な情報じゃん! これ、絶対これ着てこう!」

「いや、まあいいけど……」

 そこまでヒナが推す理由はわからなかったが、断る理由もなかった。

「白いほうが涼しそうだしな」

「そういうことじゃなくて!」

 独り言のつもりでぼそぼそと呟いた公太だったが、ヒナはそれを聞き咎めた。

「プレゼントした服を着てきてくれたら、嬉しいでしょ?」

「そういうもんなの?」

「そういうもんなの!」

 勢いよく言うヒナにたじろぎつつも、公太は着ていくシャツ以外の服を畳んで衣装ケースにしまい始めた。

「それじゃ着替えるよ」

「うん」

「……」

 しばらく待ってもヒナはその場から動く様子を見せなかった。公太は部屋から出ていってほしいという意味を込めたつもりだったが、通じていないようだった。

 昨日も結局は見ていたようだったし、公太は諦めてそのまま着替えることにした。そもそも幽霊相手に恥ずかしいも何もないかもしれない。

 ヒナも何も言わないのでさっさと着替えると、公太は出かける準備を始めた。と言っても、特別持っていくものがあるわけでもない。財布と携帯電話さえ持っていれば、たいていなんとかなるだろう。いつもそう考えて、ほぼ手ぶらの状態で外出しているのだった。

「ハンカチ持った? 暑いんだから、簡単に汗くらい拭けるように持ってたほうがいいよ?」

「うーん、あったかな……」

 ヒナに言われ、公太はシャツを入れていたのとは別の衣装ケースの中を探った。

 実家を出る時に、親が荷物に混ぜていたものがあったはずだ。ちょうど、公太が最初に手を入れた衣装ケースの底のほうに、箱に入ったままのハンカチセットがあった。そのうちの1枚を取り、公太はジーンズのポケットに入れた。

「大丈夫? 忘れ物ない?」

「大丈夫だって、別に特別な用事でもないんだから」

「もー、またそんなこと言うー」

 口を尖らせるヒナだったが、公太は気にしないことにした。

「帽子とかかぶらなくて大丈夫? 家出る前に水分摂っといたほうが良いよ?」

「わかった、わかったって。お前はオカンか」

「ぶーぶー」

 言葉で擬音を言いながらブーイングするヒナに、公太は思わず笑った。

 準備を済ませた公太は、靴を履いて外へ出ようとしたが、台所の真ん中あたりで手を振っているヒナに気付いて動きを止めた。

「いってらっしゃーい気をつけてね」

「オカンか」

「あはは」

 笑いながら、ヒナとのくだらないやり取りを少し楽しいと感じ始めていることに気付く公太だった。

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