記憶の縄釣瓶petit: 舟越桂さん。

舟越桂さんが亡くなったというニュースが届いた。これから書こうと思っていることを記憶として共有している人はまだ多いと思うが、みんな60後半以上の年齢、最年少者のひとりとして書き留めておきたいと思う。
僕が芸大の油画科に入学し春の終わりにラグビー部に入ったころ、桂さんの父、舟越保武さんは彫刻科の教授でラグビー部の顧問だった。保武さん(と呼ばせていただく)は、戦後日本の美術界で中林忠良氏とともに塑像彫刻の第一人者とされた人。ぼくらも東京国近代美術館に行けばまず目にするロダンやブールデルといった近代絵画とは一味違った、だが思考は極めて近代的な、近代彫刻を日本に定着させた人でもある。クリスチャンだった彼の代表作「長崎26殉教者記念像」はほとんど動きのない人物が並び、だが一人ひとりの内面から出てくる人間像を、祈る立像という形を通して表現したものだった。ぼくの同居人が中学・高校時代に通っていた渋谷区の初台教会にも、保武さんの聖人を描写した静かなレリーフが並んでいる。
戦前の東京美術学校のクラブ活動といえば相撲部かラグビー部だった。ラグビー部のOB名簿には数多の有名人の名前が並んでいる。保武さんもラグビー部に在籍していたらしいが、本人によればほとんどプレイしたことはなかったらしい。しかしラグビーが大好き。子息の桂さんが中学、高校と進むなかでいつからラグビーをはじめたかは聞いていない。
東京造形大学に進学した桂さんは、ラグビー部のない大学でラグビー部を創設したと聞いた(ぼくが芸大ラグビー部に在籍していたときには造形は東京5美リーグの一員で毎年対戦していた)。卒業後芸大の大学院に進学、ぼくが入学したころ、彼は大学院生で何度か練習に顔を見せたり、公式戦は出場できないがイベント的な試合では一緒にプレイしたこともあると思う。夏の合宿に参加して一緒に汗をかいた記憶もある。
桂さんは父君と異なり木彫を表現手段とした。しかし動きのほとんどない彫像を通して、内面から出てくる人間像を表現するという手法はそっくりだ。作品のほんの一部として、象嵌された目が美しい。ご冥福を祈る。


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