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仮縁問題と、ヒルマ・アフ・クリント 往復書簡#36

画家・小河泰帆さんとの往復書簡36回目です。
前回はこちら、作品のサイズについてでした。

大学生だった頃はではアトリエがあったので200号(194×259cm)やそれ以上の大きさの作品も描いていました。社会人になって画廊で発表していた時も基本100号サイズの作品でした。

往復書簡#35より

基本が100号サイズだったとは、すごい。でも言われてみれば、小河さんの根っこである身体表現を生かすのは確かに大画面ですよね。納得です。小品を愛でるように描くというのも、とても素敵ですね。

作品サイズによって作品に対する姿勢や考え方が違うの、よく分かります。
私の場合はいつも表現したいものありきの制作なので、作品サイズに関してもそれを意識しますよ。
表現したいものは自分と世界との関わり方なのですけど、例えば、大作は全体を視界に入れるために画面から遠く離れたり細かい描写を見るために近づいたり、画面に対して垂直に移動しながら鑑賞するので、位置によって印象を変えたいと思っています。私の作品は明度が高めの中間色で揃っていることが多いので、大作を遠目で見ると優しいとか癒やされるといった感想をよくいただくんですよね。でも近距離で画面にむかうと、結構荒い筆致で厚塗りしているしザラつきのある質感で、むしろ物質としての堅牢さや力強さの印象の方が勝って、遠目からの印象とはギャップがあると思うんですよ。小品の場合は厚みのある支持体を使うことで、印象に変化を与えたいと考えてます。側面にも絵を描くのですけど、小品だからちょっと首の角度を変えるだけで、真正面からだけでは見えない世界が側面にも存在するとわかります。

こういう、作品からの距離やちょっとした角度の違いによって見える世界が変わることが、とても大切な要素だと思ってるんです。これは私の捉える現実世界の法則そのままなんですよ。だから自分としてはすごくリアルなものを描いているつもりでいます。

さて、次のお題ですが、タシロさんの今年のまとめと来年の抱負を教えてください。

往復書簡#35より

もう年が明けて2023年が来てしまいましたが、振り返ってみると2022年はスッキリした年でした。変形パネル仮縁問題が一応の解決をみたので嬉しいのと、考え続けている問題のいくつかが少しだけクリアになりました。

変形パネル仮縁問題とは何かというと、私の作品は変形パネルなうえに側面にも描いているため、コンペに大作を応募する際に仮縁が付けられずエントリー自体ができない場合が多かったのです。木板やアクリル板で立体額を自作したりなど試行錯誤していたものの出来がいまいちで、もう諦めていたのですがたまたま、ある美術運送会社さんが変形キャンバスにプラスチック板で保護用縁をつけるサービスをしていると知ったのですよ。問い合わせてみたら丁寧に説明して頂けました。固定はタッカーで側面に直打だそうで、それは避けたいため自分でもうひと工夫加えて自作することにしましたけど、プラ板という案を得たのは非常にありがたかったです。大喜びですよ。

プラスチック板でつくった仮縁

変形パネルと同じ形+数ミリの木枠をつくり、そこにプラ板を固定した後、作品をはめ込んでいます


考え続けている問題の方は主に経済との付き合い方というか、販売価格や作品発表の場のことですね。これは発表をしているかぎり作家は皆、ずっと考え続けて修正を重ねていくのでしょうが、すこしモヤが晴れて自分のスタンスがみえてきた感じがあります。
きっかけをくれたものの1つに、4月にみた映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」がありました。ヒルマは世界で初めて、カンディンスキーよりも早く抽象画を描いたという画家で、作風も好みだったのでとても楽しみにしていて、映画館には2回見に行きました。鑑賞後はいろいろと思うところが多かったです。ヒルマは美術史に名を残せず、映画でもそれを問題視しているのですけど、作家としてなにが幸福なのかは断言が難しい問いだなと感じました。

映画のパンフレットとフライヤー

そして2023年の抱負ですが、新しくやってみたい事として手漉き和紙があります。いま自宅に少しずつ道具を揃えています。ものすごく分厚い紙を作ってみたいのです、どのくらいまでぶ厚くできるんでしょうね。今まで描いたドローイングの束をミキサーにかけて、漉いて、新たな支持体にしたら楽しそうです。作品として発表できるかはまだ全然わからないのですが、今年の前半は遊んでみたいと思っています。

さて、次の質問です。年も明けたので目新しい話題を。
小河さんはNFTアートについてどう考えていますか。
私はいまのところ出品する予定はなく、理由としては相性の問題で、私の作品は手触りを感じる物体として目の前に存在することに重きをおいているからです。愛着や記憶など目に見えない観念的なものに物理的な厚みを与えることに価値を見出しているので、なぜわざわざ実体のないデジタルデータにまた変換しなおすの?という疑問が浮かび、相性が悪いと感じています。