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タヒチと、本のお話 往復書簡#40

画家・小河泰帆さんとの往復書簡40回目です。
前回はこちら、作品のお値段と行ってみたい美術館についてでした。

たくさんの行きたい美術館を挙げていただき、読みながら私もわくわくしてきましたよ。ヨーロッパやアメリカで美術館めぐり、やっぱり憧れますね。

私は出不精で、海外旅行はろくにしたことないのですけど、20代後半の頃タヒチに行ったことあります。その時『ノアノア』というゴーギャンのタヒチ滞在記を持っていき、海辺の木陰でごろごろしながら読みました。まさかその後、自分が画家として作品を発表するようになるとは想像もしてなかったのですけど、いま思い返しても夢みたいな不思議な贅沢な旅で、また行きたいです。今度はモーム『月と六ペンス』を読みたいですよ。これ画家が主人公のイギリス小説でゴーギャンがモデルと言われてまして、40歳くらいの株式仲買人の主人公が画家を志し、妻子をおいて単身タヒチへ行っちゃう顛末を書いてるんですよね。前職があるあたりが自分の経歴と重なるのでちょっと面白くて、たまに読み返したくなる本です。

ちなみにタヒチはフランス領なのですが、ゴーギャン美術館はなく博物館がありました。常設展示されているゴーギャン作品はレプリカのみでしたけど、企画展示でフランスの美術館から貸与された形で、本物の作品も数点並んでました。タヒチでみるゴーギャン、素晴らしかったです。

さてさて、次のお題です。
タシロさんはとても読書家で勉強家だと思うのですが、おすすめの本や好きな作家さんなどいましたら教えてください。
私、昔は本もよく読んだのですが、ここ何年も長い文章が読めず、美術や自分に関係のあるもの以外の本から離れていたのですが、最近また小説を読み出して、辻村美月『傲慢と善良』や、湊かなえ『母性』を読みました。両方とも話題の本の文庫化で本屋の店頭にあって手に取って読んだら面白かったです。

往復書簡#39より

全く勉強家ではないですが、読書は好きで習慣化してます。
辻村深月と湊かなえ、どっちも読み応えありますね。ガッツリしたのがお好みなのかな。私も年々読書に求めるものが変わってきてるというか、以前は没入感が重要で長編小説も読みましたけど、今やほとんど手に取らなくなってます。読書体験そのものが目的というよりは、絵画制作のヒントや、自分の抱えるまだ言語化できていない思考に形を与えてくれる文章に出会うための読書になっています。

ここ数年で強く印象に残った本は、伊藤亜紗『記憶する体』『手の倫理』で、これは人文科学の本です。障害をもつ人々への非常に丁寧なインタビューを通じて、個々人の記憶や触覚について考察しているのですが、安易に一般化しないスタンスにとても感動したんです。この一個人にとっての世界はこうであるという事例をひたすら細かく大量に積み上げていく手法で、結局そうする以外の方法はないのだという態度に、他者に対する誠実さを感じました。個人の記憶や触覚は、自分の絵画制作において重要なものなので、とても興味深く読みました。

私の描く抽象画は、自分は世界をこのように見ていますという表明なので、そんな視点を提示してくれる本は記憶に残りますよ。國分功一郎『はじめてのスピノザ』はとても面白かったです。スピノザは17世紀オランダの哲学者で、絵も描いたらしくて、言ってることが画家っぽいんですよね。例えば「組み合わせとしての善悪」を言っていて、それ自体としての善悪はなく組み合わせによって善にも悪にもなるという話なのですけど、そのまんま色彩理論になりそうなんですよ。「本質は物の形ではなく、物が持っている力」とか、抽象画家の言葉みたいです。哲学の本は難解なものが多くて一度読んだくらいじゃさっぱりな場合もありますが、これは読みやすかったです。

あとは塩田明彦『映画術』、これはSNSでものすごく推してる投稿が流れてきたので試しに読んだのですが、本当に面白くてびっくりしました。現役の映画監督が映画美学校でした連続講義の採録で、映画における演出と演技についての講義です。絵画は同じ視覚芸術なので結構参考になりました。映画がやれることを考えると、映画以外がやれることについても考えますね。小河さんが好きなデヴィッド・リンチのことを、「顔」を「物(マテリアル)」として撮ろうという欲望を持った監督として挙げていて、なるほど、と思いましたよ。

さてそれでは、次のお題です。
先日Twitterで小河さん、育児で活動休止していた時のことを投稿されてましたね。作家活動を続けるにあたっては、主に女性が直面することになる、特有の困難がありますね。
パン教室のマスターコースで制作意欲を解消していたそうですが、その時のお話をきかせてください。