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[読書]平等の追求に終わりはあるの?

毎年2月20日は国連が定めた国際デーの一つ、「世界社会正義の日」です。

なんだかイメージしにくい日ですが、不安、貧困、差別、社会内および社会間の不平等の解消などが主題になっているようです。

で、「世界社会正義の日」をテーマに読書会をしました~

自分が選んだ本はこちら↓↓↓

不平等の解消を考えるには、まず平等ってどういう状態なのかを知っておきたいと思い、平等についてわかりやすく学べることを期待しました!

不平等って何だろう?

入学試験のように、判断と直接には関係のない違いによって差別的に扱ってはいけないということを「形式的な機会の平等」とも呼ばれるそうです。入試で男女で点数に差をつけるとかだと、形式的な機会の平等ではないということですね。

ただ、性別的な差別のようにあきらかなものではなく、採点や評価には問題ないのに、平等ではない場合、例えば、高い学費というハードルとか、学校で通常学べる範囲を超えて、有名な塾に通わないと解けないような問題ばかりが出題される入学試験は、塾に通わせる余裕がない家庭の子供にとっては、とても平等に扱われているとは言えない。ということが起きている。

能力とやる気ではなく、お金を持っているかどうかで進路が決まってしまうの?

ということが普通にあるということで、学力に限らず、お金があることでの優位性は理解できます。

これに加えて、本では、能力とやる気にも平等という観点からは大きな問題があるとのこと。

能力というのも、例えば勉強の得意、不得意というのもよく考えれば自分でコントロールできない、持って生まれた資質の違いによるとも言える。僕がなんとなく苦手意識を感じているアレコレって、頑張ればできるかもしれないけど、ほんと何となく苦手😅

それに、求められる能力も時代によって変わり、今は受験勉強的な能力が評価されるけど、戦国時代なら武術・兵術だろうし、平安時代なら和歌を詠むような能力が評価されてきたと思うと、いまたまたま評価されていることも、この先どうなるかはわからない。そんなことで役割や収入が左右されるっていうのは、不平等をいえると感じました。

その他、形式的な機会の平等で全てを考えると、生まれた場所、住んでいる場所、ジェンダーなど、自分でコントロールできないところには総じて不平等が生じるということなんだと感じました。

なんで不平等がいけないの?

何にでも不平等が生じ得る中で、それでも誰も文句を言わないのはなぜか?

そこには、適応的選考形成という考え方があるそうです。

自分が何か職業につきたいと思った時に、持っているイメージに左右される。政治家や経営者にオジサンが多いと感じていれば、男性以外はそうなりたいと思いにくくなるなど、何かを選ぶときに、目の前にある実現が可能そうな選択肢だけに合わせて、最初から自分の希望や目標を狭めてしまうことが起きてしまう。

あなたが自分の将来をどう見ているか、という問いかけはもちろん個人的なものですが、同時に社会的なものでもあると言えるでしょう。何かの理由によって、あなただけが最初から多くをあきらめて将来に暗い展望しか描けないとしたら、そこには大きな不平等があるのかもしれない

そういう文脈で、一人ひとりの人生において、どんな機会が目の前に開かれているかという「生の展望(ライフ・プロスペクト)」における平等という考え方もあるそうです。

あった方がよい不平等?

じゃあ、その不平等を無くそうとした場合、単純に「みんなが同じであること」をゴールにすると、「下に合わせる」という結論にするのが一番簡単で、もっとも恵まれてない人の水準にみんなを合わせるという話になる。

けど、そんな状況はだれも望まないだろうということを考えると、「あった方がよい不平等」が存在することになる。

例えば、腕のいい大工さんと、いまいちな大工さんがいたとして、それぞれがつくった家の値段に差ができることって、仕方がないというか、むしろそうでないと腕のいい大工さんは当然やる気をなくします。

これって、(ベースになる報酬は考慮しないといけないけど)大工さんを不平等に扱っているわけで、かといってこれを無くすことが社会的にいいかというとそうでもなさそうな、不平等ということになる。

ここから、「より豊かで安定した社会を築くためには、どんな平等、どんな不平等があった方がよいのだろう?」ということについて、著者は話を進めていきます(ので詳しく知りたい方はぜひ読んでいただければと)。

結局何のために平等、不平等を考えるのだろう?

先ほど「より豊かで安定した社会を築くために~」という問いかけをしていましたが、この前提も難しいなと思います。

それは、ともすれば権威主義に進むのかなと思うからです。まあ、権威主義と平等は両立できるような気もするけど。

本では「どんなことができれば、人はよい暮らしをしているといえるの?」という話もあって、「どのようなことができるか、どのような状態で暮らせるかによって人々の生活の良さを測ろう」という、ケイパビリティ・アプローチという考え方が紹介されていました。その中心になる10種類のカテゴリーは…

1.生命 2.身体の健康 3.身体が自分のものであること
4.感覚・想像力・思考力 5.感情 6.実践理性 7.社交的な交わり
8.ほかの種との共生 9.遊び 10.自分の環境に対するコントロール

この中にない、それぞれにとって大切なカテゴリーがあるだろうから、足したりしながら考えるのがポイントっぽい。

自分が加えるならなんだろう?「よく寝られること」とかかな?

とにかくこういったことは平等に甘受できるよう社会制度を設計する必要があると。

ちなみに僕は、自分で加えた、よく寝られること、以外は今のところ何とかなっている認識がある。

この辺の各自加えたい事を、社会的に話し合っていき、われわれの目指す状態を常にアップデートする必要があるのかな。

本にも、われわれができることは、何がツラいか、それはどうしてかを、SNSのような短いやりとりではなく、時間をかけて話し合うことが大切とあった。

その上で、できないことをできるようにするために、どんな平等、不平等なら許容できるかを考え、社会で共有していく。

って考えると、平等の追求に終わりはないな🤔

以上

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