小学校時代の同級生のあの子(8/3)

小学校時代の同級生がTikTokやインスタで自撮りを投稿し、いわゆる有名TikToker/インスタグラマー的な活動をしていたことは知っていたのだが、そんな彼女もいまや会社員となり、企業のお偉いさんにインタビューなどの人事活動をしているとyoutubeで知る。youtubeで彼女の1日に密着したものが配信されており、見てみると、とても堂々とした語り口で自らの生い立ちや仕事について語っており、成長っぷりにたいそう驚いた。
実のところ、小学生時代の彼女は、少女漫画に出てきそうな絵に描いたような意地悪で、一癖もふた癖もあるタイプだった。私自身も結構な意地悪を被り涙した記憶がある。これまでつい怖いもの見たさで彼女のSNSを追ってしまっており、またやってるよぐらいの気持ちで見ていた。
だが、youtubeの動画で堂々と語り自信ありげに振る舞う彼女を見て、しみじみすごいなあ、と思ってしまった。私にはない自信があり、なかなか珍しい怪物感を彼女の語る姿から感じた。仕事できそうだな〜、とか。その反面、自分は仕事面で全く自信がなくチキンで、何一つ自分の力でできてないな、とか思って自己嫌悪モードでダウナーな気分になってしまった。
彼女の人間性について難があり、賞賛し難い性格だということはよく知っており、トラウマに思っていたくらいのはずだったのに、それでも現在の彼女の外向きの振る舞いに感心し、自分を卑下してしまったことがなんだか情けなかった。素晴らしい人を見て自己嫌悪に陥るなら構わないが、なぜ自分を苦しめた人間を見てすごい、と感心し、自分はそれに劣ると思ってしまっているのか。彼女を恨めしく思う部分すらすぐに曲げてしまい、他者にすぐ屈する感じというか。
動画での彼女の振る舞いやSNSでの発信のみを信じ、彼女の人格がいい方向に変化したと信じるのであれば、今の彼女のことを「推せる」とまで思ってしまった。自分の中で、彼女が自分に嫌なことをしてきた記憶をなかったことにしようとする力がすごく強い力で働いたことに心底驚いた。もっと自分の元々もっていた気持ちを強いものとして尊重していいのに、すぐに曲げて折れてしまいそうになるところがなんだか悲しかった。
でも、今の彼女の姿を見ていると、とにかく自信を持って振る舞うことが大切だと感じた。こんな人からは何も学ばないだろうと思っていたような人にもすごい部分はあり、影響を受けることもある。人というのは当たり前だけど一面しかないわけではないので、称賛すべきところもある。だから、恨んだままで尊敬してもいいのかもしれない。
こんな気持ちになったのは初めてだ。うまく言えないけど、奥深いなと思った。

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