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七草にちかに網膜を焼かれる。

     「七草にちかは凡人なのか」。彼女が登場した2021年4月5日から現在まで幾度にも渡って論じられてきたであろうこの問いかけに、いい加減終止符を打ちたい。だって、そんなことはもうどうだっていいじゃないか。

 「200%の凡人」はプロデューサーがにちかに下した評価である。スカウト前の初対面の時点で何かしら可能性を見出すことの多いプロデューサーから発せられた「凡人」という言葉は確かに衝撃的なものであった。W.I.N.G.からLanding Pointに至るまで、アイドル・七草にちかの足どりが軽やかでなかったことは言うまでもない。

 しかし、それだけだろうか。初登場から3年もの月日を経て、我々が七草にちかから受け取った情報は「凡人」のみだろうか。

 私はこれを肯定できない。そして、このような偏狭な態度を恥じながらも、読者諸賢にとっての七草にちかも「凡人」のひとことで言い表せないような色を持っていて欲しいと、そう願わずにはいられない。

 ひとつ認めておきたいのは、にちかにとっての自身は明確に「凡人」であるということだ。周囲の評価がどうであれ、W.I.N.G.から今に至るまで一貫して、彼女は自分を「凡人」と評している。それを踏まえた上で振り返る彼女の言動はあまりにも眩しく、直視に耐えない。CDショップで働いてアイドルの活躍を直視すること、スカウトを待って大通りを歩くこと、八雲なみの靴を履くという選択、これらは恐らくにちかの自尊心を傷つけていたのだろう。幼少期に夢見た八雲なみ伝説との乖離を実感しているから、彼女の発言はいつだってひどく卑屈だ。

 それでも、にちかは歩みを止めない。

 自尊心も、事務所に入ってからは身体さえもボロボロにしながら、逃げることをしない。彼女のそんな姿に深く感銘を受けた。ああ、これこそが七草にちかの心髄であると。我々がにちかを凡人と言おうが言うまいが、きっとこれは覆らない。だからもう、そんな議論は捨ててしまおう。己を「凡人」と信じてやまない彼女の才の有無なんて、今更論じて何になるのか。私はただ、彼女が望む靴を履き、そして望むときに裸足でいられるよう願うだけである。 

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